私は、永平寺で平成8年から安居(修行)致しました。最初に、大庫院(典座)という所に転役となりました。大庫院とは食事係のような所です。道元禅師様は「禅苑清規」の文を引いて、「典座は単なる食事係でなく、修行僧を供養するためにあるものであるから、典座となったら全身全霊をうちこんで事にあたらなければならない。」と典座の意義を説いています。食事について自分の感じたことを述べさせていただこうと思います。食事が終わると、参加者全員が「おいしかった」と言ってくれます。この言葉を聞いて私は、あることを思い出しました。
家庭で食事をしていた時のことです。あるお子さんが食べ物を残したときご両親が、「もったいない」から残さず食べなさいと言いました。お子さんは、なぜ「もったいない」のかわからなかったそうです。ある時、お寺の参禅会へ参加したときの事、「もったいない」の意味がようやく理解できたそうです。それはなぜでしょう?
禅寺では、食べ終わったとき、お湯(お茶など)で食べた器を洗い、最後に洗ったお湯を飲みます。この湯は油が浮いていたりして、はっきり言ってしまえばまずいのです。しかしこの時、食事ができる事への「感謝」、食事を作ってくれた人への「感謝」などなど、いろいろな事への「感謝」の気持ちが湧いてきたそうです。
参加された皆さんが「感謝」の気持ちで食事をいただいた結果「おいしかった」と言っていただいたと、私は思えてなりませんでした。
坐禅の方は…足が痛かったとしか言いようがありません。作仏の為の坐禅にあらず、只管打坐。
第23回 摂心会 差定
朝課:「祇園正儀」 |
日中:「発菩提心」 |
晩課:「自受用三昧」 |
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