10月定例会

於・野田市 海福寺 11名参加

・事務局並びに各委員長事業報告
 「ハワイ曹洞宗の現状」 大山 健治師


 10月の定例会は、野田市 海福寺で行いました本年の方針として、全県の御寺院様を回るというのがありました。千葉県は広く会場まで赴くのに時間がかかるため、行事に参加したくてもしり込みしてしまっている方がいるのではないか。そこで会場を分散することで、日頃顔を見ることの少ない方々も参加しやすいのではという思いと、県内のさまざまに努力を重ねておられる方丈様から、得ることも多いのではないかという思いからでした。

 この日大山師の海外開教の現状という報告は、そこに住み暮らしていた人ならではの、貴重で重要なお話を聞くことができました。伝統のない海外の布教は、伝統が失われていく今日の国内の布教に対して示唆に富むものと確信しています。

会 長



ハワイ曹洞宗の現状

大山 健治

 曹洞宗がハワイへ渡ってから、来年で百周年目を迎えます。明治18年に最初のハワイ移民が始まりました。初期の日本人移民は砂糖きび畑で働くため、遥々太平洋を渡って行ったのです。明治36年(1903年)に最初の曹洞宗僧侶がハワイに渡り、様々な苦労の末にお寺を建て、やがて日系人社会の精神的基盤となり、新しい生活の中心的存在となっていきました。お寺は遠く離れている日本を忘れない為、又、ハワイで生まれた子供達に対して日本文化と日本語を伝える場所になったのです。お寺に行けば日本語学校があり、みんなで集まって日本の歌を歌ったり踊りを踊ったり、またお正月、ひな祭り、お盆等の日本の伝統的な行事にも触れ合う事ができたのです

 時が経ち日本人移民の一世が年をとって、二世が中心となり、三世が生まれる頃には日本人としての意識、日本への思いが徐々にうすれて、だんだんアメリカ人としての意識、アメリカへの義務感が強くなっていったのです。一世にとって、お寺は欠かせない場所でしたが、二世、三世には、アメリカ文化と社会に同化するためにはお寺は適していなかったかもしれません。そこでお寺もいろいろ工夫をしてその時代のハワイに適応するよう努力をしたのです。そして、日本の仏教からハワイ日系人の仏教へと移り変わっていきました。これは寺院の建物の構造、法要内容お坊さんの取り組み方にはっきりと見られます。

 まず、ハワイのお寺の建物に違いがあります。これは明らかに東南アジアのパゴダやキリスト教の教会の影響を受けており、外見は日本の寺院建物の構造と異なります。東南アジアのお寺に似たものが多く、なんとなく仏舎利のような形をしています。又、堂内は、畳はむろん座布団もありません。代わりにキリスト教の教会のように、一般の檀信徒は長椅子に座り、お坊さんは、正面のステージ風の祭壇で椅子に座ります。更に、ハワイの寺院にはオルガンがつきものです。

 法要も他宗教の影響を受けています。日曜日になるとSunday School(サンデースクール)とかFamily Service(ファミリーサービス)があり、家族全員で参加できるような雰囲気の中で法要が営まれます。法要の内容にも、ハワイ独自のものが取り組まれています。日本ではなじみのないGatha(ガータ、讃仏歌)や、みんなで一緒に声を出して読むOchikai、Golden Chainというような仏教の教え(聖語・朗読)が法要中に組みこまれています。法要の最初に歌うVandana Ti-Sarana(バンダナティサラナ)や最後に歌うShomyo(称名)もハワイの法要では必要不可欠です。法要の時には必ず法要の司会進行役がいて、『何ページを開いてください』とか『皆さんお立ちになって下さい』といった指示を出したり、さまざまな仏教の教えを一緒に読む時のリーダーを勤めたりするのも日本の法要とは違います。また、法要後、お寺が集会場になり、朝食をとりながら檀家同志が楽しく話し合い、習い事やクラブ活動などをすることもあります。

 ハワイのお坊さんの服装も異なります。普段は作務衣ではなく黒色系のスラックス、白いワイシャツに黒いネクタイを身につけています。法事の時はその上に改良衣と絡子を着用することが多いのです。剃髪のお坊さんが檀家さんに髪の毛を伸ばすようにすすめられることがあります。お坊さんは法事だけではなく、終わってから説教をするのが普通です。また、食事の際にはまずお坊さんが食前の祈りを捧げてからみんなで食べます。

 このように、曹洞宗も日系二世と三世にも受けとめられやすくすることによって、日本の仏教から日系人仏教に変わっていったのですが、百年たった現在の状況はさらに変わっていく必要があるように思われます。現在では日系一世も二世も殆どいなくなり、四世、五世が中心になっており、この先は日系人何世というより完全なアメリカ人しかいない時代になっていきます。否、もうすでになっていると言えるでしょう。若いかたには今の曹洞宗は異質なもの、お寺はおじいちゃんとおばあちゃんが行く所としか思っていないかもしれないのです。実際に日本語がまったく分からない人、日本の文化や伝統を理解できない人がお寺に来ても宗教的なものを感じ取るのは難しいに違いありません。ハワイで曹洞宗が生き延びるには、日系人仏教からアメリカ人仏教に変わっていくしか方法はないと思います。

 前述のように、これからのハワイの曹洞仏教の発展には多大な課題が残っています。いままで日本語訳のお経や回向を読んでいたのですが、現在は英訳された仏典が必要になってきました。葬式にも英語で三帰戒を授与するようになってきています。又、大きな法要でも着物を着用せずスラックス、ワイシャツ、ネクタイの上に、改良衣と絡子をする服装を固定することも始まっています。さらに、日本で修行をし、資格をとってハワイに行くお坊さんではなく、日本で修行をしなくてもハワイで修行し資格をとれるような規定が検討されています。いずれ、現地ハワイで育った僧侶が多くなり、日本との関わりも薄れてくるでしょう。そして、その時ハワイの仏教は完全に独立したアメリカ仏教になるかもしれません。それまでにハワイの曹洞仏教がどのように変わり、発展していけるのか注目されています。

大山 健治 昭和50(1975)年 1月15日生まれ
1993年 府中市アメリカン スクール イン ジャパン高等学校(ASIJ)卒業
1997年 ハワイ大学 マノア キャンパス卒業
1998年 2月 岩手県 正法寺専門僧堂送行
2001年 4月 大本山総持寺僧堂送行

目次に戻る