千葉県曹洞宗青年会 第24回 摂心会

平成15年3月7日(金)~8日(土)
於・八千代市長福寺

会 長 の コ メ ン ト

 第24回摂心会を、本年も長福寺様をお借りし開催致しました。本年は僧侶22名、一般参禅者12名と、例年になく大勢のご参加を得ました。しかしながら青年僧は年々忙しくなる傾向にあって、今年も僧侶があわただしく出入りする摂心になりました。2日目は土曜日ということで、近年とみに土曜日に法事を行なう傾向にあるため、最終的には5名で切り盛りする形になり、僧侶が本気で坐る摂心にするには、開催方法を考えなくてはいけない時期に来ているように思います。また摂心の場でも話題になりましたが、今日の寺院の経済は葬儀、法事という労働対価としての布施を得ることで成り立っているため、僧侶がその対価を得るためにほとんどの時間を費やす傾向にあります。自らを省みて思惟する時間は限られています。私たち自身がそういう時間を積極的に作っていかなければ、僧侶という存在の思想基盤を失い、存在意義を喪失していくことに繋がるような気がします。日頃時間がないからこその摂心なのですから、もう少し工夫をした開催を次年度の課題にして欲しいと思いました。いずれにしてもそれぞれ多忙の中、1回でも、2回でもとご参集いただいた会員諸兄には感謝と敬意を表したいと思います。また毎回ご参加いただき、かつ熱心に研鑽される参禅者の皆様有難うございました。皆様の姿が、私ども青年僧に僧としての原点を思いおこす大きな力となりました。

岡本和幸


坐禅中
静かに座し、静かに時は流れる・・・

坐禅中

聖僧・文殊菩薩
聖 僧

直堂


摂心会に参加して

 まず、摂心という貴重な時間を僧侶だけでなく一般の方々と共に過ごせたこと、大変嬉しく思いました。曹洞宗では禅宗の他の宗派とは違い、『只管打座』を基本精神としています。『只管打座』とは読んで字のごとくただひたすらに坐禅に打ち込み、自分と向き合う。頭を使わずに力を抜いて、自然と一体になる。そんな時間は禅宗のお坊さんだけでなく、まさに現代の疲れ果てている日本人に必要なのではないでしょうか。我々僧侶でさえ、日々の檀務に追われ、研修会、多くの会合等等・・・座に親しめる時間が限られてきてしまっています。いや、忙しさにかまけて坐禅する事から逃げてしまっているのかもしれません。坐禅はどんな時でも、どこででも出来るのですから・・・。
 本山では年に二回の摂心会、もちろん毎日、朝晩の坐禅は欠かしません。本山から降りてきた今、自分がどれほどの時間を坐禅に割いているのか、正直言って本山にいたころとは比べようもありません。禅宗の坊さんがこれでいいのかと日々葛藤する有様です。
 なにはともあれ、坐禅は自分と向き合える絶好の時間であり、誰でも、どこででも出来ます。何かに疲れてしまったとき、行き詰ってしまったとき、考えが煮詰まってしまったとき・・・『只管打座』~心を空っぽにして座ってみる。そこから新しい道がひらける可能性は十分にある。そんな無限の可能性を秘めた時間といえます。
 そんな坐禅をこのような摂心会や参禅会を通して多くの方々に広めていけたらと思います。また、同時に自分もこういった機会を通して何かを発見し続けられたらと思います。
 今年の摂心会は一日だけの参加でしたが来年は最後まで参加したいと思います。有難うございました。

赤星隆誠

 

 

提唱
提 唱 「 伝 光 録 」

提唱

 

講師・石川光学老師
講師 広徳寺御住職 石川光学老師


独参
“独参”

講師先生と一対一で相対し、
御法導を賜れる貴重な時間

千葉曹青の摂心に参加して (講師先生のコメント)

 一般の参加者は、10数人であったが、どなたにも、共通していることがあった。坐禅に対して、まじめで熱心であること。そして何より強調したいのは、摂心(坐禅)を勤めるのが、名誉や財産、収入とは、何の関係もないということを、よくご存知ということである。
 摂心に参加して、なにか見返りがあったかというと「無功徳」。これは、達磨大師が、梁の初代の皇帝である武帝に対して、お答えしたのと同じである。この言葉は、参加した方々にこそ、ふさわしい。摂心によって、「無の功徳」があったと受けとめてほしい。
 青年会のみなさまには、初中後すべてお世話になった。諸準備、飯台、後片付けすべてに綿密、親切であった。夜坐だけ参加して下さった方も僧宝である。青年会卒業生として、参加してくださった方も僧宝である。青年会員一同の宝は、知識や経験ではない。失敗、試行錯誤、いたずらに批判を恐れない「ひたむきな向上心」である。向上心が謙虚さをもって、継続されるとき、「勝友」となる。どうぞ、この摂心を核にして、精進してください。

石川光学老師

石川老師からは“禅のほそ道”で連載を賜ります。Web法灯のページをご参照下さい。

 


典座寮
典座寮もがんばりました(左:四十澤師・中央:新野師)

精進料理に思う (典座和尚のコメント)

 お寺で供される食事は精進料理と呼ばれ、一般的に肉や魚、五葷(ごくん)と言われるネギ・ニラ・ニンニクなどの臭気のある野菜を用いない物とされていますが、私は本山修行中に庫院(くいん:食事を作る部署)に居た折り、修行僧の指導役である役寮さんに『「精進料理」とは精進して作った料理を精進して食べていただくことだよ』と教わりました。「精進」と言う言葉を辞書で調べてみると、「一所懸命に努力すること」とあります。食べていただく方の事を思い、食材をいかに無駄なく美味しく調理するかを考え、一生懸命に作る料理こそ「精進料理」であると私は思っています。

 摂心会の典座寮を務めさせていただくのは今回で4回目、また、夏休みに行われる「少年少女禅の集い」をはじめ、各種行事で典座寮を務めさせていただいておりますが、常に一番に考えているのは「喜んで召し上がっていただける物をなるべく余らないような量で作る」ということです。とかく行事での食事の用意は作る量も多く、時間に間に合うように作ることや、足りなくならないように、ということが一番の課題になってしまうことが多いような気がしますが、私自身が食べることが大好きなこともあり(笑)、堅苦しい行事の中での唯一の楽しみ(!?)である食事の時間をいかに楽しんで喜んで食べていただくか、人数と食べる量を考え、いかに無駄なく余らないように作るかが私の楽しみであり精進のしどころであります(笑)。

 はてさて、その結果出来上がった料理を皆様が召し上がってどう思って下さったかはわかりませんが、私が思うところの「精進料理」をこれからも機会があれば精一杯作らせていただきたいと思っております。

 最後になりましたが、いつも相棒を務めていただき、どんな量のどんなお米でも絶妙な水加減で決して失敗することなく炊きあげて下さる四十澤承順師に尊敬と御礼の意を表し、典座寮のご挨拶とさせていただきます。

新野利行 合 掌



第24回摂心会差定

  一日目 二日目
 4:00   振 鈴
 4:20~ 5:00   いっちゅう
 5:20~ 6:00   にちゅう
 6:10~ 6:15   塔袈裟の偈
 6:15~ 6:40   朝 課
 6:40~ 8:10   小食・作務
 8:10~ 8:50

10時受付
10時半オリエンテーション

さんちゅう
 9:10~10:30 提 唱
11:00~11:40 これより摂心いっちゅう・日中 よんちゅう・日中
12:00~ 1:00 中 食 中 食
 1:10~ 2:10 提 唱 提 唱
 2:20~ 3:00 にちゅう ごちゅう
 3:10~ 3:50 行 茶

茶話会
終わり次第解散

 4:00~ 4:40 さんちゅう・経行
 4:50~ 5:30 よんちゅう・晩課  
 5:30~ 6:20 薬 石  
 7:00~ 7:40 ごちゅう・独参  
 8:00~ 8:40 ろくちゅう・普勧坐禅儀  
 9:00 開 枕  
提唱:「伝 光 録」
朝課:「祇 園 正 儀」
日中:「発 菩 提 心」
晩課:「自受用三昧」

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