理を料る】                 日本寺 住職 藤井元超

 『ことわり』を『はかる』。読んで字の如く、料理のことである。

 理とは、物事の筋道を立てて考えることであり、料とは、はかって処理することである。米をはかり、水をはかり、火加減をすることによって、米と水は、粥にもなり、飯にもなり、およそ食えぬ代物にも成り得るのである。

 さて、私の知っている宮大工の会社では、入社して少なくとも一年間は、台所を担当する。いわゆる飯炊きである。朝は他の先輩達より早く起きて、朝食を作り、昼間は先輩方の仕事を手伝って覚え、夜は夕食の片付けを済ませてから自分の道具の手入れをする。

 主要な材料には触らせてもらえない。限られた時間内で三食の献立を考え、買出しに行き、料理をする。昔ながらの徒弟制度である。

 以前私は、親方に何故なのかと尋ねたことがある。答えはこうだった。「まかないをすると、段取りというものが解る。何人分ならこのくらい、これとあれを料理しなくちゃならないから、順番はこうという具合に、仕事の段取りが自然に解るようになるからだ。そうして一人前の宮大工、一人前の人間が出来る。」と、なるほど当に料理なのである。

 木の癖を知り、木組みを考え、建物を造る。素材を知り、献立を考え、料理をつくる。素材を知れば知る程捨ててしまっていた部分から美味いソースが出来たりするのである。面白いことこのうえない。やれ改革だ、エコロジーだと声高に叫ぶのも結構だが、まず自分の家の厨房に立って生ごみの改革から始めてはどうだろうかと思う今日この頃である。


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