「動物を可愛がる」ということ         養昌寺 徒弟 房田清光

 うちのお寺には、数年前から一匹のトラ猫がいます。出来れば家の中で飼いたいのですが、この猫はずっと室内にいることができません。餌を食べた後しばらくすると、また外に出たがるのです。

 先日、たまたま猫が部屋で寝ていた時に、急に出かけなくてはならなくなりました。いつもなら外に出てもらうのですが、すぐに帰ってこられるだろうと思い、寝かせたまま外出しました。30分程で帰宅し、ふと参道から和室の窓に目をやると…

………やられた………

 外に出ようと思ったのでしょう。部屋の障子がお化け屋敷さながらにビリビリにされており、室内が丸見え…。結局その障子は、家族全員で張り替えることとなりました。でも、そんないたずらをしても、私達家族はこの猫が可愛くてしかたがないのです。

 近年、ペット可のマンションや宿泊施設が増え、ペット関連用品、葬儀・お墓の多様化までも進み、ペットを大事な「家族」として可愛がる方が大変増えてきました。

 その一方で、矢ガモ、矢ネコなどの動物虐待や、生き物に対する愛情の薄さも問題視されてきています。何匹もの動物を不衛生な環境で飼うなど、無責任な飼主も目立ってきました。飼主は可愛がっているつもりのようですが、生活環境を整えてあげないことも虐待になるのです。

 最近、川に取り残されたウリ坊のニュースをよく目にします。野生の動物ですから、人の手で山に帰すよりは、自力で山に帰ったほうが良いのでしょう。ウリ坊が段差を越えられるようにと、土嚢と板でスロープが作られました。

 しかし、救出対策よりも問題になっていることがあります。それは、一部住民によるウリ坊の餌付けです。この地区には以前から餌付け禁止の条例があるにもかかわらず、ウリ坊可愛さに餌をやる人が絶えないのだそうです。

 親とはぐれてかわいそうなウリ坊を、助けてあげたい気持ちはよくわかります。けれど、人間が不用意に手を差し伸べたせいで、自然の中で生きていけなくなることもあるのです。人間のにおいがつけば、群れに戻れなくなることもあります。人間の食べ物の味を覚えれば、人里に出て作物やゴミを漁るようにもなるでしょう。人間を襲うこともあるかも知れません。そうなると、有害動物として駆除されてしまう可能性もあるのです。

 本当に可愛がりたいと思うなら、自分が手を差し伸べる事が、その子の一生にとって本当に有益かどうかまで考えなければならない、と私は思います。そうでなければ、可愛がったことにならないのではないでしょうか。先述のように、自分の行動が、その子を不幸にしてしまうかも知れないのです。ただ単に可愛がるだけが、愛情ではないはずです。

 うちの猫も、実は心臓があまり丈夫ではありません。猫の寿命を考えても、多分私より先に逝ってしまうのでしょう。せめて、最期まで世話をしてあげたいと思っています。この子はもう、家族の一員なんだから…


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