駄目でもともと、駄目じゃなければすごいこと】 長寿院 徒弟 渡部鋭幸

 「失敗する権利は誰にだってあるんだよ。当たって砕けろの覚悟で誘えばいい。駄目でもともと、駄目じゃなかったらそれはすごいことじゃないか!」

 関節炎で入院した青年が恋をした。意中の女性をデートに誘えず、青年が引っ込み思案になっていたときに、医師が後押ししたのが冒頭の言葉である。結果をいうと、この恋は成就した。それを機に青年は様ざまなことにチャレンジ精神を燃やし、関節炎の痛みとは依然格闘中であるが、そのことのために人生を悲観しなくなったという。

 ものごとが様ざまな条件で成り立つことを「縁起」という。ということは、ちょっとした条件を作ってやりさえすれば、人生は豊かなものにもなり得るはずだ。

 青年が人生を悲観していたのは、関節炎の痛みや、そのことで悩んできた人生が背景にある。だが、それで意中の女性を最初からあきらめていたのは、単に思い込みである。思い込みを排し、正しいものの見方をすることを「正見」という。

 しかし、諸条件を正しく見、考え、行動してもなお、思いが叶わないこともあるかもしれない。それでも、その失敗からもさらに学ぶことを釈尊は説かれた。「苦集滅道」という。

 そうしたチャレンジを積み重ねることで、自分を縛っていた強固な思い込みが崩されていく。このことに限らず、世の中のあらゆることは良くも悪くも変わっていくことが「無常」だ。

 たった一つの体験で、人生が劇的に変化することはあるまい。それでも日々の暮らしの中で喜びの種をまき続けることが、人生を豊かなものに変えていく。そして一つの喜びが、新たな種をまく力を与える。

 早すぎることも、遅すぎることもない。今からでも、喜びの種をまこうではないか。


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