通いあう心の輪】              龍本寺 住職 畠山賢陀

ある日、ファミリーレストランで、素敵な光景に出会いました。

お父さんとお母さん、それに小学校に上がる前くらいの女の子、親子3人の会話です。

駐車場に自動車を停めたお父さんが、後から店に入ってきて言います。
「ビールを飲んでもいいかな」


それを聞いた女の子は、
「だめ。お酒飲んで運転しちゃいけないんだよ」と言います。


そこにお母さんが助け舟をだしました。
「じゃぁ、今日はお母さんが運転して帰るから。そしたらお父さん、お酒飲んでもいいでしょ?」


「うん。それならいいよ。」
女の子はにっこり笑って、そう答えたのでした。



そのやり取りを聞いていた私は、和やかな気持ちになりました。

子供が親に意見を言って、親がその意見にきちんと向かい合っていたのを、新鮮に感じたからです。

親から子供に教え、諭すことはあっても、その逆にはなかなか思い至らないものです。

『大人は教える。子供は教わる。』
日ごろの私たちは、ついそう考えてしまいがちになってはいないでしょうか。


熱心に教え導こうとするのは大切なことです。

しかし強く範を示していればそれで良い、というわけではありません。

言葉は、一方的に発していればよいものではなく、交換することが何よりも大切なことなのです。

自分の娘の言葉に、一つ一つ丁寧に向き合い、受け答えする親のこころくばり。

その親子の姿から見えたのは、『家族は人生を一緒に歩む仲間である』という自覚。

かけがえのない縁を大切にする、深い慈しみの心を感じずにはおれませんでした。

正しいと思うことを、きちんと言葉にできる女の子でした。

女の子の言葉を、きちんと受け止められる、ご両親でした。

私たちが幸せを感ずる行いは、いつもお互いの目の高さを合わせ、心を近づけることから、始まります。

そんな関係を築いていける親子を、とても素敵に感じました。


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