こどもにうたってあげたい歌は           龍本寺 住職 畠山賢陀

 ご存じの方には今さら申し上げるまでもないことですが、我が家では目下、子育て奮闘中です。まったく「子煩悩」とは良く言ったものです。子の成長のことが頭から離れないこの状態のことをいうのでしょう。三十数年前、きっと同じように私を育ててくれたのであろう両親を、今さらながらにありがたく思います。

 日一日と大きくなる我が子。少しずつ言葉も出始め、また個性も徐々に見え始めています。父である私に似ている部分もあり、はたまた母親似の部分ありと、そのたびにニヤニヤしていますが、浮かれてばかりいるわけにもいきません。現在純白の状態の我が子が、どのように成長してくれるだろうかと考えると、親として大人としてその責任の重さを感じます。

 子育てを始めて、ゼロから急速に増えたものがありました。それは「こどもうた」のレパートリーです。歌は、遊ぶときにも寝かしつけるときにも、子育てには絶大な効力をもった手法で、その有用性は古今東西変わることがないようです。

いくつか紹介しましょう。

「世界中のこどもたちが一度に笑ったら
    空も笑うだろう ラララ海も笑うだろう
 世界中のこどもたちが一度に泣いたら
    空も泣くだろう ラララ海も泣くだろう


 広げよう僕らの夢を  届けよう僕らの声を
 咲かせよう僕らの花を 世界に虹をかけよう


 世界中のこどもたちが一度に唄ったら
    空も唄うだろう ラララ海も唄うだろう」
(世界中のこどもたちが)


「ケンカしたって 泣きべそかいたって
    明日になったら忘れちゃう また遊ぼ」
(スプラッピ スプラッパ)


「ぼくときみは違うから きみを好きになるのかな
 ぼくときみは違うから みんなを好きになるんだね」
(ぼくときみ)


 こどものうたであるがゆえに、歌詞は純真そのもの。歌っているうちに、なんだかこっちまで心洗われる気がします。それにしても、こどもの歌は、どうしてこんなに清らかに感じられるのでしょう。それは、こどもたちに素敵な大人へと育ってほしいからに他ならないと思います。大人たちからこどもたちへ。こころの栄養を充分にこめた、素敵なメッセージです。

 でもその一方で、はっと気づかされて、恥ずかしく思ってしまったりすることもしばしば。大人になって、かえって忘れてしまったり、たかをくくって置き去りにしてしまっているものの、何と多いことか。こどもに、歌い聴かせている当の私自身はどうなのだろう、と。

 こどもの成長に願いを託すばかりでいいとは思いません。こどもが素敵な大人に成長してゆくには、素敵な大人のお手本がなければなりません。もっとも身近なお手本は、言うまでもなく親です。こどものためにも、親たる大人は、我が身を整え直そうとする気概(!)が不可欠であるように感じます。

 至らぬままに成人し、今日まで来てしまった私ですが、育児に触発され、こどものためにも自分自身を整える歩みを続けたいと思います。そしてまた、決して上手くはない私の「うた」ですが、願いを込めて今日も歌おうと思います。

こどものうたと、あなどるなかれ。
こどもにうたってあげたい歌は、人の生き方の原点です。


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