仏教と言葉                 福聚院 副住職 庄司徳潤

 私もまだ『若者』の世代なので、学生時代の友達や同年代の僧侶との日常の会話で『マジ』『超○○だよね。』と言うような言葉をよく使いますが、法事などでお檀家さんと話しをする時にも、普段の会話で使っている言葉がついつい出てしまいそうになり、ハラハラする事があります。

 そんな事があり、言葉遣いには気をつけていたところ、ある日『仏教と言葉と言う本を見つけました。本来は仏教語であったのに、いつの間にか日常生活に溶け込んで頻繁に使われている言葉について書かれた本です。今回はその中の一部を取り上げてみます。

・大袈裟…僧侶の着る大きな袈裟が物々しく見えるところから「大仰なさま」

・しゃかりき(釈迦力)…お釈迦様の力から「奮闘するさま」

・親玉…数珠の中心となる大きな玉から転じて「かしらに立つ人」

などなど、これらはホンの一部で、他にもまだたくさん有りますが、中には最近あまり使われなくなったものもあります。

 たとえば、足の速い人を「韋駄天」とか、速く走ることを「韋駄天走り」と言ったりします。最近あまり使われなくなりましたが、これも仏教に由来する言葉です。

 「韋駄天」はもともとバラモン教の神様で、仏教に取り入れられて護法神として四天王の増長天に仕える将軍になりました。では、なぜ足の速い人を「韋駄天」というのでしょうか。

 その昔、お釈迦様が亡くなられた後、その歯(仏歯)を盗んだ不心得者がいて、韋駄天が盗人を速い足で追いかけ取り戻した、という言い伝えがあるからなのです。また、古くは「走り回る」という意味だった「馳走」も、韋駄天が駆け巡って食物を集めたことに由来する言葉で、お客様を接待する「おいしい料理という意味に転じて、「ごちそうさま」という謝意を表する言葉が生まれたのだそうです。

 ところで、食後には「ごちそうさま」、食前には「いただきます」が日本の食卓の常識でしたが、最近ニュースで聞いた話によると、ある県の学校給食では「いただきます」を言わないことになったそうです。その理由は、「いただきます」は仏教(=宗教)の思想に由来する言葉なので学校で使うのはおかしい、と言う保護者からのクレームがあったからとか…。

 元々は仏教語とは言え、すでに日常生活に溶け込んでいるものについては、あまり気にする必要は無いのではないかと私は思います。「いただきます」も、宗教云々よりも食物をいただく感謝の気持ちを表す言葉として、子どもたちに教えていくべきではないでしょうか。

 流行語などでどんどん新しい言葉が増えてきています。私も言葉の正しい意味、正しい使い方をもっと考えながら生活していきたいと思っています。

 「いただきます」「ごちそうさま」という言葉も近い将来、聞かなくなる言葉にならないといいのですが…。


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