教わる側から、伝える側へ            養昌寺 住職 房田清光

 昨年6月より梅花流師範養成所というものに通っています。梅花流とは、曹洞宗の和讃・ご詠歌の流派の名称で、師範養成所とは、文字通り指導者を養成する機関のことです。期間は2年間で、4泊5日の講習が年3回ずつ、計6回行われます。もともと歌うことが好きなので、楽しく勉強しています。

 でも最近、詠讃歌を勉強することが怖くなる時もあります。それは、ただお唱えを楽しむだけではいけないと、感じはじめているからです。詠讃歌は、曲を覚え上手にお唱えすることも大事ですが、本来は作法や歌詞に込められた深い意味を理解することこそが大切です。

 更に指導者という立場になれば、自分が学んだことを今度は周りの人達に伝えていかなければなりません。そうでなければ、ただの趣味、ただの自己満足になってしまいます。

 青年会の定例会では毎回梅花練習を行っており、私も講師を務める機会がありますが、自分の頭の中では内容や意味を何となくわかっているつもりでも、いざそれを相手に分かりやすく伝えようと思うと、なかなか思うようにいきません。おそらく、先生や先輩方から聞いて「知った」ことを「理解した」と思い込み、自分自身が本当に納得のいくまで突き詰めなかったからだと反省しています。

 詠讃歌に限らず、私達は日常のさまざまなことを先輩方から学び、そしていずれそれを後輩達に伝えていかなければなりません。その時に、発する言葉がうわべだけのものだったり、言動が一致しなければ、大切なことを相手に伝えることができません。

 そう考えると、自分は伝える側としての責任を果たせるのか、御詠歌を続けても良いのか不安になってしまい、今までは、自分にはまだ早いからとか、まだそんな力がないからと、伝える側としての実践を後回しにしてきました。

 しかし、限られた人数しか行けない師範養成所に行かせていただき、また、たくさんの先輩方からのありがたいご指導を思うと、このままではいけない、自分も誰かの役に立ちたいと感じるようになりました。

 自分につとめられるのか。自分に本当に向いているのか。まだまだ不安に思うことはたくさんありますが、それでも、迷ったり遠回りすることも無駄ではないと信じて、あきらめないで前進したいと思います。5年後、10年後の自分が、少しでも理想に近づいているように。そして今、周りの方から受けているご恩を、少しずつでも返していけるように。


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