つめ                    寶應寺 副住職 松崎秀規

 みなさんは、どのタイミングでツメを切りますか?また、どの程度切りますか?

 修行中、四と九のつく日にツメを切り、髪を剃り、繕い物などをします。お風呂もこの日に入れます(さすがに夏は頻繁に入れましたが…)。このように、日にちが決まっていると悩む必要がありません。今は、いつでも切ることが出来るため、気がつくと伸びているツメ。

 私の場合、長く伸ばしてから切るのが好きです。さらに、ツメの先の白い部分がなくなるまで切ります。どっちかっていうと深ヅメ系(笑)。ツメを長く伸ばしてから切ると指先に違和感を抱く…その感覚がたまらなく好きなのです。

 ツメ(髪も)は、表皮が変化してできている「角質器」と呼ばれ、一日に約0.1o伸びると言われてます。ところが毎日伸びているにもかかわらず、指先に受ける感覚(触覚)は全く変わりません。不思議だと思いませんか?

 このように変化していることを気づかせないようにしたり、体温等を一定に保ったり、外部からの異常に反応(おう吐など)したりすることをホメオスタシス(恒常性)と呼ぶそうです。爪が伸びる→感覚が変わる→からだ(脳?)が慣れるという事を、繰り返している。誤魔化しをしているのでは?

「髪を剃りまた髪を剃る、爪を切りまた爪を切る。日々新たな決意」

 修行中に聞いた言葉です。最近までは、常に身を整え欲望や怠惰になる心を切り落とすことを意味するものと思っていましたが、恒常性という視点を取り入れて考えてみると、「慣れるな!!」と言っているのではないか?と考えるようになりました。?

 私たちは、葬儀や法事、相談事等を通して様々な人と接しています。それは回数を重ねていく内に慣れてきます。慣れてくるにしたがって「自分は上手くなっている」と、錯覚を起こしてしまう。

 ツメや髪が伸びていく事に気づかない。しかし切ってみると「恒常性」が崩れ違和感を抱く。「気づかず慣れてしまった感覚をリセットする」ということではないかと思います。

 人と接するとき、先入観や枠にはまった対応ではなく「一期一会」の心であるための言葉。自分自身に対しては、なんとなくやっているのではなく、目的や決意を起こして事にあたる。「発心」を意味しているのでしょう。誤魔化されてしまった自分を戒める言葉ではないかと思うようになりました。

 私は鈍感なので、長く伸ばして深く切ることによって慣れてしまわない感覚を養っています。


目次に戻る