只管一打                   大徳寺 住職 戸田信也

 今シーズンのアメリカゴルフツアーの話題は、タイガー・ウッズで持ち切りである。今季、既に3戦3勝。また、現役のプレーヤーであるにもかかわらず、通算優勝回数や数々の名プレーなど、既に伝説のプレーヤーに成りつつある。ちなみに、歳は私の一コ下(マジかよ)。

 ゴルフは、技術はもちろん、精神面(=心)がとても重要だ。今のタイガーは、心に迷いが一切ないように見える。風や距離、傾斜を考え、狙った方向へ迷い無く振る。

 しかし、それが凡人には真似できない。風や傾斜以前にプレッシャーに負け、スイングに迷い、方向は球に聞いてくれといった具合である。もう、心はいろんなものに囚われまくりである。

 私はそれが坐禪によく似ているように感じる。

 坐禪をすると心は次第にとらわれていく。まず、足の痛み、そして時間。何の為に、何になる、という思い。心は様々に囚われていく。道元禅師は只管打坐と教えられたが、只坐る事は簡単そうで難しい。

 タイガーは只管一打と教えてはないが、迷い無く只打つ事も簡単そうで難しい。日々精進し、坐禪は只管打坐・ゴルフは只管一打となりたいものである。


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