悩み事を明らめる                見性寺 住職 殿城太寛

 人間誰しも悩みを抱えて生きているものですが、私も当然例外ではありませんし、どちらかといえばくよくよ考え込んでしまうタイプです。恥ずかしながら、今までこんなことで悩んだことがあったなあ、という出来事を箇条書きにしてみます。

1,恋愛編
 高校時代に交際していた彼女に別れを告げられて以来、告白失敗が数回、交際しても別れを告げられること数回、そのたびに生き甲斐を失ったように落ち込みました。結婚した今でこそ、このような悩みはありませんが、3年程引きずったこともありました。


2,部活動編
 高校球児だった頃、甲子園常連校相手に私のミスで1点差負けしたこと。あの時の光景は今でも脳裏に残っています。また、中学までは感じたことのない劣等感の連続。何度も退部しようと思いました。


3,試験編
 教員採用試験の不合格の連続。いわゆる試験と名の付くものの初めての挫折でした。1度は合格しましたが、1年以内に採用がなく、規則により合格無効で再受験でした。産休補助教員として2年間で3校に勤務しましたが、その経験も採用にはつながりませんでした。


4,僧侶編
 自分なりには真面目に精一杯勤めているつもりですが、お決まりの「坊主丸儲け」などという心ない言葉にひどく傷つきました。お金儲けなど1度も考えたことがないのに。


 この他にも、挙げればきりがない人間関係等に悩んだことも多々ありましたが、お釈迦様の教えを分かりやすく書かれた「ひろさちや先生」のある文献を読んでから私の中でかすかな変化が生まれました。内容を私が理解したなりに書いてみます。


 「仏教とは、悩みを全く感じないようになる教えではない。悩みは誰でも最初は感じる。それに執着せずに軽減、消化していくのが仏教だ。これを矢に例えると、第1の矢は誰にでも当たる。それに執着していると第2の矢にも当たるはめになる。当たったことを悩んでも何も変わらない事実と受け止め、第2の矢を防ぐようにすることが悩みを増幅しない方法である。この悩み事は考えて努力して解決することなのかどうか明らめる(明らかにする)。解決できないことならば、次の悩みが襲ってこないように執着しないことだ。」


 前述した私の過去の悩み事の中にも、考えてもどうにもならないことがありました。それを明らめずにいることで、男のくせに、僧侶のくせにと、悩んでいること自体にまた悩むという第2の矢に当たっていました。執着しないということは、もちろん簡単なことではありません。ただ、第2の矢に当たらない方法を試みてみようという気持ちだけでもなんだか楽になったような気がします。

 僧侶が説くべきことを僧侶でない方から教わりました。人によっては恥ずかしいことと思われるかもしれませんが、これはこれで素直に感謝したいと思います。そうでないと、また第2の矢に当たってしまうかもしれませんから。


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