供養する気持ち                東泉寺 徒弟 新谷英俊

 先祖代々といっても、自分が見たことのない曾祖父やそのさらに昔の方たちに気持ちを込めて供養をするというのは難しいかもしれません。特に現代の若者世代からすれば法事なんてよくわからないし面倒くさい、自分の知らない人の供養なんてしたくない、というような人もいるかもしれません。

 しかし、いざ自分の大切な人、両親だったり、兄弟だったり、友達だったり、身近な人が亡くなった時には、本当の供養の気持ちが自然とでてきて気づくことができるでしょう。自分の親は若いからまだ大丈夫と思わないで、もしかしたら…という気持ちで日々を過ごせていけたら、思いやりの気持ちが自然と出たり、当たり前のようなことに幸せを感じることができるのではないでしょうか?

 今の自分の状況を当たり前と思わず、常に周りの人に感謝の気持ちを忘れないことが、先祖供養の気持ちにも繋がっていくのだと思います。飲まずとも水をあげたい。食べずとも美味を供えたい。見えずとも花で飾りたい。答えずとも語りかけたい。供養する気持ちです。


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