今から10年前、1998年4月4日 一人の男が現役を引退しリングを去った。
昭和35年、南米ブラジルの地にあった17歳の少年が、当時国民的スターであった力道山の手によってブラジルから日本に連れ戻された。その後師匠、力道山のもと厳しい修行を積み、力道山亡きあと、三十有余年プロレス界を背負ってきた男。人はその男を『燃える闘魂』と呼ぶ。
『いつ何時、誰の挑戦でも受けて立つ』これはアントニオ猪木が格闘人生を懸けて体現してきた信条である様に思う。38年にも及ぶプロレス人生、安住の地を嫌い、突き進んでは出口を求め、飛び出しては次なる場所に歩みを進め、決して人生に保険をかけることなく、その刹那、刹那を燃やし尽くせばよいという生きざま、当時十代であった私の中にも小さな闘魂の欠片が具わった様な気がした。そして、その闘魂の火種は今でも燃えているであろうか。
アントニオ猪木の生きざま『人生』そのものとも言える詩、ご存知の方もあると思う。
『道』 この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わずいけよ 行けば分かるさ
誰かが言っていた『また見えぬ でも地続きの 俺の道』と、どこかに自分の進むべき道があると思っていた。その場所さえ見つかれば、其処から新しくスタートできるのだと、目の前のこと、今この瞬間のことを見ていなかった。目を逸らしていた。歩いていなかった…。 『どんなに道は険しくとも、笑いながら歩こうぜ』
それでは最後にご唱和ください。 『いくぞー 1、2、3、ダァーッ』 『赤コーナー 190センチ 102キロ アントニオ猪木―』 |