真夏の果実                   海龍寺 住職 大山文隆

 今年、檀家さんのすすめで家庭菜園を始めました。自分でしていると言うより、ほとんどが檀家の方の指導でさせていただいています。

 お手伝いをしている程度ですけれど、5月に妻と一緒に土興しから始め、マルチを張り、苗を植え、そして肥料と水を蒔き、一連の作業を教えて頂きました。

 植えた野菜はサツマイモ、カボチャ、トウモロコシ、ナス、プチトマト、アスパラガスの6種類です。あまり手を加えなくても育つからということで、この6種類を選びました。たまに水をかけてやったり、草を取ってやったりしましたが、忙しさに追われてほとんどほったらかしで3ヶ月が過ぎようとしています。

 農家の方のように、毎日やさしい気持ちで大切に世話をしないので、実り加減はいま一歩ですが、苗は強いもので少しずつ大きくなり、実をつけました。カボチャ、ナス、プチトマトは少ないながらも美味しくいただきました。トウモロコシはハクビシンにやられたり肥料や水が足りなかった為か、実が大きく育ちませんでした。残念ながらアスパラガスも今年は駄目でしたが、来年の実りの時期までに今年の苗の世話をしっかりすれば、2年目のアスパラの苗木として立派に育つと期待しています。サツマイモは9月頃に出来る予定です。

 仏教用語に「因果応報」という言葉があります。原因があり、それに応じて結果がついてくるということです。カボチャの種を蒔いたら、カボチャしかできません。他の物はなりません。また肥料や水、周りの状況が整わなければ、せっかく蒔いた種は育ちません。そして、この全ての要素がそろうことによって、ようやく野菜が実るのです。当たり前のようで、新鮮な発見でした。

 以下に紹介するのは、子どものころハワイのお寺で歌った歌の歌詞ですが、この因果応報の教えを説いたものです、自分の行いは結果として必ずついてくるということを自分なりに翻訳してみましたので読んでみてください。

The texture of the life to be we weave in colors all our own;
(わたしたちは己から、自分の人生に色を塗り、)
And in the realm of destiny we reap as we have sown.
(種子をまき、報いを受ける宿命)
We make ourselves the joys and fears with which the coming life is made;
(生きている間に喜びや恐れを作り出し、)
And fill alone our future spheres with sunshine or with shade.
(そして将来に光や影が自分に訪れる)
We live our present lives again with memory warm or coldly dim;
(現在を遠い記憶や暖かい思い出と共に生き、)
The picture of the past remain, “Man’s work shall follow him.”
(過去の生き方のすべてが今の姿に表れる「人の善行・悪行によって報いがある」)


 これから本格的な夏の到来ですが、畑とともにこの大きな因果応報の力によって生かされている自分を見つめながら、将来につながる「今」を大切に生きたいと思います。


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