不便利の中に心有り               大洞院 住職 櫻井大文

先日、千葉県青年会の稲刈りを初めて体験させてもらった。

「腰や足が痛くなるよ、指切りなさんな」など、脅しとも応援とも取れる声に押され、いざ出陣。

田んぼ一枚分のスペースを刈る事になった。足をとられ身動き出来なくなる事もあったが、怪我も無く収穫を終えた。稲穂に苦労の重みがある。筋肉痛と共に骨身に染みる有難味を感じた。
早速稲穂を御本尊にお上げした。


自坊では、昼食の時にスタッフやボランティアさんと一緒に、【五観の偈】をお唱えする。

(ひとつ)には功の多少を計り()の来処を量る」

解説:今いただこうとしている食事は、どれだけ多くの手数がかけられ、労力
   がついやされているか、深く考えます。


毎日何気なくお唱えするこの言葉の意味を改めて考えた。食べ物が苦労なく安価で手に入る。それをあたりまえと思いすぎではないだろうか?自然の恵み、農家の方々の心、手間や労力へ思いを至らせずにいるのではなかろうか。

昨今、青々とした野菜を食べることが出来るようになり、その反面その影で偽装米など食品に対するモラルの低下により不信感が多出した。食材に対する感謝の心が薄れているようにも思う。

タイトルは【不便利の中に心有り】とした。

私は今回の体験で「便利の中に心無し」になっているのではないかと改めて感じた。

食べ物を安易に得る中で、私たちはそれに相応しい働きをしたのか、環境を傷つけていないか、そして感謝の心をなくしてはいないだろうか、と自分に問いかけている。


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