田舎                    昌福寺 副住職 萩野吉史

「今日はねぇ里芋がとれたから洗ってもってきたよ〜」

「あらあら、わざわざ洗ってきてくれたのかい、わるいね〜」

「いんやさ、そんな手間でねーでよ〜」

「いつもいつもわるいね〜。あ、そうだ、これ持ってくかい?」

「ええ?いいんだってよ〜」

「いやいや、たくさんあるんだよ。みんなで食べてちょうだい」

「ほんならもらってく〜。ありがとよ〜」

「こっちこそだよ〜」


今朝お寺の庭を歩いていたら、こんな会話を耳にした。

私の住んでいる町は、春は風で景色が茶色く染まり、
夏は緑色の穂が一面に、秋は里芋の葉で覆われて、冬は霜で一面が白くなる。


土が身近なものとしてあり、野菜が季節をそのつど教えてくれる。

私は学生の頃、友人に実家がどんなところかと尋ねられると、
「田舎なだけで、なんにもないところだよ」と、答えていた。


当時、近所にコンビニが出来たときは驚いたし、
真っ暗闇という言葉がふさわしい田舎の夜に煌々と輝くコンビニが、
文明開化のあかりに思えるほど田舎だったのだ。


それから数年が経ち、そこから少し車を走らせた所にある大型スーパーには、
「顔の見える野菜」と称された安全を売りにした野菜が並んでいて、
冷凍食品コーナーの袋には、【国産野菜を使用しております】との注意書き。
もちろん輸入食品もたくさん売られている。


食の安全が騒がれ始め、「なんにもないところ」にあったもの、が
とても大切なものだと知ったのはつい最近のこと。


寒くなってきました。今日はいただいた里芋のお味噌汁でも飲んであたたまろう。


目次に戻る