「生きる」を考える              興陽寺 徒弟 山高信厚

年の暮れ、寒さも一段と際立って参りました。

介護問題が騒がれる昨今ですが、現在私の家族の中にもそれを必要とする人がおります。

親身になってくれるお医者様の御厚意で病院にて介護を受けさせていただき、私も通院して様子をみさせていただいております。

話も出来ず動くことも出来ない、つまり意思をほぼ伝える術を失ってしまわれた状態のその方のそばに私はただいることしかできません。

その方は「もしものとき延命などの措置はしないでくれ」と元気な頃に話をしておられました。

しかし、その方の微笑んでくれた顔が浮かぶ度、その言葉を私の中から消すのです。

私は日々、その方の前で『生きる』『生かさせていただく』ことを考えます。

しかし、まだまだ若輩者の私には私なりの答えすら出せていません。

いや、そのような考えを起こすこと自体、おこがましいことかもしれません。

しかし、だとしても、その方も含めた諸先輩方に学び、考えて生きていきたい

そう思う次第です。

皆さんも、また来る年を如何に生きようか、考えてみていただければ有り難く思います。


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