循環                   浄泉寺 副住職 宮川義道

 子供たちはそのうち、魚はパックの舟で泳ぎ、鳥が秘伝のタレをつけて空を飛び、豚がキャベツの千切りの上で眠るなんて言い出すかもしれない。

 私たち人間は、死を食べて生きてるのに…人間だけ特別扱いしている日本では、そのことをリアルに受け止めない。

 先日、カリブのある島で世界を旅する日本人に出逢い、私が僧侶であることから、その人はチベットで見た鳥葬の話をしてくれた。

 現在日本では、人が死ぬと『火葬』をし、墓に収めるのが主だが、チベットでは死人を広場に放置し、鳥に食べさせるという『鳥葬』をするという。

 二十人ほどの若い僧が遺体を囲み、お経を唱え終わると、老僧の合図で鳥たちが一斉に食らい付く。ひととおり肉魂を食べ終えると、老僧が鳥たちを追い払い、散らばった骨をかき集め、頭蓋骨は町で売られている『どくろ杯』に。大腿骨は『笛』になるらしい。(他の骨の話はエグイので省略)

 元人間の肉体は、鳥の胃袋に収まり、そして自由に旋回する。他者の死をむさぼり食って生かされていた肉体が、他者の命を育むために大いなる循環へと還っていくのだ。

 忘れがちな『生は死を養分にして育つ』という当たり前のことを、意外にも日本からかけ離れたカリブの楽園でリアルに再認識させられた。


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