日常のありがたさ              全宅寺 徒弟 吉岡義秀

 「ふりかけ」だけであんなに幸せな気分になれたのはいい思い出。というのは、地元の友達に冗談まじりに話すことです。とても低レベルな話かもしれませんが、本山での修行中たまにでてきたあの「ふりかけ」の味は忘れません。あと、さらに出現率が低い「岩のり」の味も、はかりしれない喜びがありました。

 しかし、今の生活における「ふりかけ」「岩のり」の幸せランキングは、かなり低くなってしまいました。生活環境が全く違うので仕方のないことかもしれませんが…。今、「ふりかけ」を食べても、もちろんおいしいのですが、あの幸せを感じられるほどではなくなってしまったような気がします。

 「ふりかけ」で幸せだったあの修行時代が幸せだったのか。今の生活が幸せなのか。ふと考えるときがあります。

 世界中には水を手に入れる為に、ものすごい苦労をしなければならない人々や、食べるものもない子供たちがいることは、テレビのドキュメントを見ていて多少は理解していますが、それを考えると「ふりかけ」で幸せを感じている自分がとてもちっちゃくみえる…。日本という豊かな国に生まれてよかった。と思うと同時に、いま、過ごしている生活がいかに幸せなことかを少しでも考え、ありがたさを忘れないようにしていかなければいけないなと思います。

 正直に言いますと、今の生活でも不満があったり、もっとこうしたい!と思う事があるのも事実です。しかし、幸せとは何なのかを考える事がないと、感覚が麻痺してしまいそうになります。ご飯を食べられない人たちに自分が何をできるかといわれると、何もできない。だからこそ、せめてこの日常の生活にある小さな出来事に、ありがたさを忘れない事が大事だと思います。


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