【正しく叱れる?】           宝成寺 住職 赤星 隆誠
 『最近、人に叱られることが少なくなった。』ある人と話をしていてそんな話題になった。年を重ねるにつれて、叱られたり注意されたりすることが少なくなる・・・といった内容。


 何も言われずに清々としていいじゃないかとも思うが、自分がしていることが、正しいのか誤っているのかを常に点検しなくてはならない。また、正しかろうと間違っていようと、それは全て自分の責任ということになってくる。


 私自身徐々にではあるが、叱られることよりも我が子などに対し、叱ったり注意したりする方が増えてきているような気がする。子供ながらに叱られた時には反抗心をむき出しにしてくる。おのずとこちらも真剣勝負。なぜ駄目なのか、何が悪いのか、を懇切丁寧(?)に○×□△・・・。


 はたして同じことが他の子に、また大の大人にできるのだろうか。人を正しく叱るには、自分自身がそれなりでなければならない。また、かなりのエネルギーも必要となってくる。


 個人的に、感情にまかせ相手への思いが無い叱り付けは、ある意味暴力であると思う。叱るときには、少なからず相手を思う気持ちをもたなければいけない。


 人に叱咤され、その時は“なにくそ”と思うが、後になってあの一言は有難かったと思うことがある。それは自分の過ちに気が付いたとき。


 人に言われてふと立ち止まり、考えてみるきっかけとなったのだと思う。早くに気づけたのは、“なにくそ”と思ったあの一言があったからだと思える。また、同時に叱った人の自分へ対する思いに気が付く。


 最近、人をきちんと叱れない大人が急増している。そのことが、社会のあらゆる場所で起きている暴力事件の一因となっている。教育現場、相撲界、会社内、家庭内など等。


 叱り方が分からない、加減を知らない、何が正しいのかを知らない。


 年齢的には、まだまだ叱られることの方が多い年頃。けれども、叱らなくてはいけない場面も少しずつ増えてきた。


 さて、これまでに幾度となく人に有難いお叱りを受けてきた小生。自分は人を正しく叱ることが出来るのだろうか。また、出来ているのだろうか。日々点検。


 いつの日か、『あの時の一言、ありがたかったよ』と言われる、そんな人間になりたいと思う。



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