そろそろ憲法改正?】          慈雲寺 副住職 野口 宗康
 結婚して以来、恒例行事となっている沖縄旅行。今年も一月下旬に行ってきた。旅行といっても、宿泊先は妻の実家であるが・・・(泡盛攻撃で毎回撃沈)


 沖縄といえば切っても切り離せないのが基地問題である。私達が滞在した時は、ちょうど名護市長選の真っ最中で、普天間基地を県内か県外に移設するかが焦点になっていた。結果は県外移設派の勝利。


 選挙中にたまたま地元のTVCHを見ていたら、現職の女性県議会議員がこんなことを言っていた。「日米安全保障条約があるのに、我々はアメリカに守られている感じがしない」
この発言にはびっくりした。我が身を常にアメリカに守ってもらうことなんてありえない。



 日米安全保障条約とは、「自衛隊がアメリカを守ることはしないが米軍は日本を守る」という主旨の、非対称的な相互条約を結んでいるという関係なのである。要するに日本は「基地を提供する」という義務さえ負っていれば、アメリカがやられても助ける必要はなく、アメリカは日本がやられそうになったら助ける義務を負うことになっている。こんな条約を結ぼうという国は、他に世界中どこにもないだろう。


 御承知のように、基地問題で日米が揺れている。うまく事が進まなければ今後の日米関係に大きく影響するだろう。もし沖縄から基地がなくなったとしたらどうなるのか。沖縄は今まで以上に危険になるのではないか。基地で働く人は失業するし、中国、北朝鮮の動向も気になる。特に北朝鮮に限っては何をするかわからない。彼らが持っているミサイルは、日本まで七分で飛んでくることが可能らしい。つまり何かのきっかけがあれば、あっという間に脅威が現実になる。


 そうなった場合、アメリカが今まで通り助けてくれればいいが・・・。人間関係もそうだが、些細なことで築きあげてきた関係というのはすぐに崩壊する。


 お釈迦様は亡くなる直前、弟子たちに「自らを頼りにし、自らを依りどころとしなさい。他人を依りどころにしてはいけない。法を頼りにし、法を依りどころにしなさい。他のものを依りどころにしてはいけない。」と説かれた。有名な自灯明、法灯明のことです。家族、友人、上司、先輩、先生。頼りになる人は沢山いるが、いつも助けになってくれるとは限らない。これからの日本はアメリカを頼らず、自らの力で国を守ることができるようにするべきではないだろうか。


 そのためにも、私は憲法九条を改正する必要があると思う。だが憲法を改正するためには日本の場合非常に難しい。憲法改正を発議するためには、国会議員の3分の2以上の賛成を集めなければならないし、さらにその後国民投票を経なければならないが、国民投票実施のための具体的な法律は何一つ決まっていない。


 アメリカ、フランス、イタリアでは、憲法改正の発議は上下両議員1人からできる。フランスでは首相1人でも可能だし、イタリアでは5万人以上の署名があれば一般国民でも憲法改正に動き出せる。他国はわからないが、これらの国では必要に応じてどんどん憲法は改正されている。だが日本には、この臨機応変さがない。


 国の危機は国が守る。自分の身は自分で守る。世界常識であるが、長年の安保条約体制により、日本人の考え方までが、「危ない、苦しい、悲しい時はきっと誰かが守ってくれる」という感覚になってしまったのではないだろうか。


 今こそお釈迦さまの教え、自灯明を顧みるべきである。強い日本、強い人間を造るには、自分自身と戦うことではないか。人生実にいろんなことがある。時には落ち込み、自暴自棄になることもあるだろう。だが自分自身を否定しても何も始まらない。世界中自分という人間はたった一人しかいない、とてもかけがえのない存在だ。だからこそ、自分を大切にし、自分を頼りに生き、自分が一番の友達になっていく必要がある。


 否定されるべき自分を捨て、肯定されるべき自分を造っていく。
自らを愛し、自らを守ることが、人を強くし、自ら命を落とす者を守ることにもつながる。



 そういった意味で、将来日本が強くなっていくためには、各々が、自己も、そして自国の在り方も、今一度考えてみる必要があるのではないだろうか。


 現状の政府案には、米、沖縄とも否定的なようだ。さらに、首相の「腹案」発言で、事態を一段と混乱させてしまった。


 そんな中、選抜高校野球で沖縄県の興南が優勝したことは、県民にとっては明るいニュースになったことだろう。


 ちなみに興南は、私の妻の母校でもある。


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