【情報化社会の中で】            竜泉寺 徒弟 増田 芳裕
 お釈迦様が説かれた教えの中に、八正道(はっしょうどう)というものがあります。これは涅槃(悟りの境地)に至るための修行には、8つの実践の道があるというもので、正見(しょうけん)正思(しょうし)正語(しょうご)正業(しょうぎょう)正命(しょうみょう)正精進(しょうしょうじん)正念(しょうねん)正定(しょうじょう)が挙げられます。八支正道(はっししょううどう)ともいい、もともとは悟りの世界における修行法を指していましたが、一般社会において も適用が可能といわれています。ここでは「正見」について取り上げたいと思います。


 「正見」とは、正しい見解や信仰を持つこと、お釈迦様の説く智慧(ちえ)のことをいいます。また日常生活においては、全体的な計画や見通しが相当するとされています。一見すると簡単なように思われますが、いざ実践となると現代社会においてはなかなか難しいものがあります。


 情報化社会の点から少し考えてみたいと思います。


 インターネット、携帯電話など、この数十年における情報技術の進歩には目を見張るものがあります。この技術革新により、大量の情報を瞬時に手に入れることができるようになりました。反面、より高度な情報処理能力が必要とされるようになったのも事実かと思われます。既存の新聞、テレビ、ラジオといったメディア も加えると、人々が日常的に扱う情報の量は膨大なものになります。その情報の中にはデマ、偏向、捏造などが少なくありません。また情報は刻々と変化していきます。うっかり野次馬的な感覚でいると、この情報という波に飲まれてしまいます。


 では、どのような態度であるべきでしょうか。


 有り体に言えば、情報の波という「動」の状態に対し、坐禅などといった「静(止)」という姿勢が必要だと思われます。さらに、各人が職業の現場で培った知識および知恵がより重要になっていくと思われます。まずは自身の見識を身につけることが第一となるでしょう。


 お釈迦様の教えを実践に移すのはなかなかやさしいものではありませんが、何とかして現代に活かしたいものです。


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