ものの見方】              宝蔵寺 住職 吉村 明倫
私は先般、9月末と10月中旬に福井県にある曹洞宗の大本山、永平寺に赴いた。


どちらも法要への参列や、お檀家さん達との本山参拝旅行(団参)といった仕事の一環ではあったが、自身がまる3年以上も修行した道場であるので、口ではめんどうくさいと言いながらも、心の底では懐かしく嬉しい気持ちもあった。


そして、10月の団参で移動中、ふと考えたことがある。


自分は永平寺で修行をして何が変わったのだろう…?


確かに、たくさんのお経や法要での動き、礼儀作法などは自ずと身についた。


しかし、メンタル面というのは改めて考えなければ、実は気付かないものである。


ものには見方がある。


修行する前の私は、自分の考えを曲げられるのがとにかく嫌で、バイト先の上司や学校の先生方とよく衝突していたのを思い出す。


しかし、今になって思えば、こういった理由があったのかもしれないとか、自分がそれをしないことで他の人に迷惑がかかったのかもしれない、など考えられる。


ものというのは、誰しもある一方から見たり考えたりするだろう。


しかし、人によってはまったく別の見解があるときもある。さらに別の人では、さらに別の見解も…。


私が修行を終え学んだことは、悟りを開きあらゆるものの見方を覚えたこと…なんて大それたことではないが、


大事なときほど一呼吸置いて考えること。


人の意見を聞いてそれを参考にする、もしくは応用してまた別の考え方を導くこと。


ものには自分の思いもしない考え方や解決法があることに気付けたこと。


であると思う。


みんながゆとりあるいろいろな考え方ができれば、もう少しは平和な世の中になるのではないか…と思える今日この頃です。


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