自分に欠けているモノ】          玉泉 副住職 渡邊 信行
 先日、旅行したインド仏跡巡礼での出来事。
朝ホテルをチェック・アウトする際に、必ず見る光景があった。それは、父親でもある師匠が、カウンターにいる係の人に、合掌しながら大きな声で「有難うございました」と挨拶する姿だ。



 今回、仏縁を頂き師弟共にインドに旅行したのだった。幼い頃と違い、一緒に旅行する事など皆無に等しく、ましてや[十日間]という日程は初めての事だった。何かある度「おい、信行」と、呼ばれる事にもうんざりしていたが、この深々と頭を下げ、日本語でする[挨拶]が特に恥ずかしかった。[会釈でいいのではないか]そう思ったが、ふと、幼い頃の記憶が蘇った。


 それは師匠に連れられて行った、お盆の棚経の事だった。お経が終わり、お婆さんが玄関まで見送りに来てくれた。帰る際に挨拶しようとしたが、このお婆さんは少し耳が遠い事を思い出し、私は会釈だけして失礼した。車に乗ると、突然師匠に叱られた。「なんで、挨拶をしないんだ?
例え聞こえていなくても、玄関に誰もいなくても、しっかり声に出して挨拶しなさい。」



 言葉が分からなくても、そして相手に伝わらなくても、しっかりと、丁寧に挨拶する姿を見ていて、何か自分に欠けているモノを師匠は、持っていると気づいた。[信念]というか[信条]というべきモノだ。そして、それは僧侶として、人間として大切な事のように感じた。


 今回のインドの旅行は、聖地を巡る経験だけでなく、父親の、師匠の一面がとても勉強になり、生涯忘れない体験になった。


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