震災ボランティア活動

 平成23年6月28日(火)〜30日(木)、OB1名、会員10名参加のもと、宮城県、福島県にて震災ボランティア活動を行いました。幸いなことに晴天に恵まれ、2泊3日の短い期間ではありましたが、無事にボランティア活動に専念することができました。

 初日、28日は宮城県山元町役場を訪れ、山元町の被害状況を伺いました。その後清掃作業予定地の視察を行いましたが、海岸に近づくにつれて、津波での被害の大きさに圧倒されました。住宅は数件残ってはいるものの家の中は散乱し、窓は全て割れていました。線路や電柱は津波に流され、災害時の様子を物語っていました。

山元町役場  田んぼ風景

津波に流された線路  津波の被害にあった家

 2日目は2班に分かれてボランティア活動を行いました。1班の6人は宮城県角田市自照院様を集合場所として、他県からお越しの御寺院様7名と合流し、山元町山寺の普門寺様に向かいました。普門寺様は海岸付近にあるため、本堂の壁は津波で流されていて、お墓の殆どが崩れていました。

本堂正面  墓地の様子

 活動内容は主に墓地の通路に溜まった土、瓦礫の撤去作業でした。炎天下の作業であったため、こまめに水分補給をしながら作業を行いました。

土の撤去作業を行う武藤秀樹師  土の撤去作業風景

土の撤去作業を行う征矢貴晃師  撤去された土

 2班の4名は福島県相馬市にある仮設住宅にて、全国曹洞宗青年会災害復興支援部が行う行茶ボランティアに参加。お茶やお菓子、冷たいかき氷などを一緒に食べながら、被災者の方々と交流しました。

 この辛い状況にありながら「くよくよしても仕方ないから」と明るく振る舞う住民の皆さんでしたが、心に抱える悩みや不安も垣間見え、今後物資と心両方の継続的な支援が必要であると感じました。

災害復興支援部  かき氷を振舞う

仮設住宅内の茶話会風景  現地の方との交流

 3日目は宮城県山元町役場にて、一般ボランティアに参加。朝8時半に宮城県山元町役場に行くと、すでに沢山の方々がボランティアに参加するために集まってきていました。受付をすませた後、我々は車で10分程のところにある山元町体育文化センターへ行きました。

 体育文化センターでは、支援物資の在庫確認と学校で使用する文房具類の仕分け作業を行いました。係の方のお話によると、「いま一番不足している物資は箱ティッシュとカップラーメン」との事でした。たくさんの物資が届けられてはいますが、不足してしまう物があるのに驚きました。

体育文化センター内  係の方より説明を受ける

作業風景1  作業風景2

作業風景3  作業風景4


 2泊3日での被災地ボランティア活動でしたが、まだまだ人手が足りない状況であると実感しました。今回の経験を糧として、これからも違う形で応援したいと思いました。

 最後になりますが、急な案内にも関わらず、ご参加頂きました会員皆様方に感謝申し上げると共に、この度の活動にご理解と多大なるご協力を賜りました武藤秀樹師に心より御礼を申し上げ、活動報告とさせて頂きます。

〜ボランティア委員長のコメント〜


 千曹青といたしましては3月11日の震災より、救援物資・義援金の収集を行ってまいりました。しかしながら、現地に赴いての活動がなかなかできておりませんでした。

 今回の現地でのボランティア活動は、2泊3日という短い期間でしたが、仮設住宅での行茶活動や寺院墓地の土石処理、現地の救援物資の仕分け作業など、千葉ではできない、より直接的な活動を行うことができました。

 私が担当した福島県相馬市の仮設住宅の行茶活動では、30度を超える真夏日ということもあり、全曹青の方からお借りしましたかき氷機でかき氷を作り、子供たちからお年寄りまで多くの方々に配り、たくさんの笑顔をいただきました。


 震災から3ヶ月が経ち、私の中では少し当日のことが薄れてきていました。しかし被災地の方々は、今でも昨日のように当日の悲惨な津波のお話をされていました。家族を失った方、家を失った方、友人を失った方、その悲しみは計り知れないものなのだろうと感じました。

 被災地の復興活動はまだまだ始まったばかりです。今回の経験を活かし、これからも何かできることはないか、という気持ちを忘れることのないようにと肝に命じました。


                          浄泉寺 副住職 宮川義道 九拝

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