【4日目/1月31日(木)/担当:征矢貴晃】
4日目はバンパイン宮殿、世界遺産であるアユタヤ遺跡、そして日本人街を見学しました。バンパイン宮殿はバンコクからおよそ67km離れており、昨日同様通勤の混雑をかいくぐりながら、約1時間ほどで到着しました。
バンパイン宮殿はアユタヤ王朝 プラサート・トーン王の時に王族の夏の別荘として建てられました。1767年のビルマ軍攻略でアユタヤ王朝が滅んで以降、約80年間放置されていましたが、ラーマ4世と5世が現在のように再建しました。ヨーロッパ式の建物が多いのはラーマ5世の好みによるもので、他に池の上に建つタイ様式のプラ・ティナン・アイサワン・ティッパートや中国式のプラ・ティナン・ウェーハート・チャルムーン(天明宮殿)などがあります。こちらの内部は入場可能でしたが、残念ながら奥の部屋(ラーマ5世の寝室等)の写真撮影はできませんでした。天井には三国志、正面には龍など、中国式で繊細な装飾がほどこされ、ため息の出るような豪華さでした。
次にアユタヤ遺跡へ行きました。アユタヤ遺跡は1767年にビルマ軍に破壊されて以来廃寺になって、今は遺跡があるのみです。ワット・プラシーサンペットに建つ3本の仏塔はそれぞれにアユタヤ王朝の王の遺骨が収められています。ワット・マハータート(仏舎利や貴人の遺骨のある寺院のこと)には木の根で覆われた有名な仏頭がありました。ビルマ軍がこの寺院を破壊した時に木の下に置いた仏頭を、根が成長して包み込んだものだそうです。仏頭の写真を撮る際には、仏様に失礼がないように仏頭よりも低い位置で撮らなければいけないとエッグさんより聞き、タイ国民の信仰心の深さを感じました。そこから少し歩いて、いくつもの小さな仏塔に囲まれた大きな仏塔までやってきました。そこには仏舎利が納められています。仏塔の周りには大小様々な仏像が安置されていますが、すべて首や腕などが破壊されていました。ビルマ軍がそれらを破壊した理由として、拝むものを破壊して戦意喪失を狙ったのだそうです。
日本人町に向かう途中では、大きな象が列を作って歩いている光景が目に入りました。背には観光客を乗せて、ゆったりと歩いています。そして、ところどころにお寺があり、いくつかのお寺には白くて高い煙突が建っていました。タイのお寺では、ほとんどが敷地内に火葬場が設けられているとのことで大変驚きました。
程なくして日本人町に到着。町はチャオプラヤー川沿い、アユタヤ中心地から南に下った場所に位置し、袋のような形をしています。対岸にはポルトガル人の町があったそうです。1番栄えた時の人口は1000人〜1500人程であったと言われています。ここまで繁栄することができたのは東西の海上貿易の仲介をしていたのと、良質な日本製の品々を取引していたからでした。そして、日本人で編成された傭兵隊は200人〜300人と少しずつ大きくなり、アユタヤの基本法典である『三印法典』でも身分が認められるほどでした。資料館の中には日本人町の頭領であり、時の国王より官位を授かった山田長政の像が安置されていました。現在の日本人町は当時の建造物なども残っておらず、記念公園と石碑と資料館があるのみとなっています。帰りに日本で待っていてくれる人達のためにお土産を探し、明朝早くの帰国に備えてホテルへ戻りました。
【5日目/2月1日(金)/担当:野口隆道】
この日は朝5時にホテルを出発してタイ空港へ直行、日本へ帰りました。雪による変更のため、行きも帰りも導入されたばかりの二階建ての飛行機に乗りました。この度のタイ研修旅行は会員にとって、とても貴重な体験、勉強の場になったことと思います。あっという間の4泊5日の研修旅行ではありましたが、誰1人体調を崩すこともなく、無事に戻ることができました。最後に、御参加いただきましたOB、会員の皆様、本当にお疲れ様でした。