国内研修旅行

 平成25年9月3日(火)〜5日(木)、会員12名参加のもと、長崎、福岡にて2泊3日の国内研修旅行に行って来ました。

【9月3日(火)/安田宏彰師】

 6時40分に羽田空港に集合し、搭乗手続きを済ませた私たちは、7時40分に羽田空港を飛び立ち、長崎空港に到着したのが9時半頃でした。天候はあいにくの曇り空。このままもってくれればという願いも届かず、長崎は雨だった。

雨の長崎空港  出島に到着

 出島は1636年(寛永13年)にポルトガル人によるキリスト教の布教を防ぐため、江戸幕府が人工の島(出島)を作り、そこにポルトガル人を収容しました。それが出島の始まりです。その後、鎖国令によりポルトガル船の来航が禁止されましたが、平戸のオランダ商館が出島に移転したことにより、鎖国時代、唯一開かれた貿易の町として218年もの間、日本の近代化に大きな役割を果たしました。
 現在の出島は、当時の建物や街並みが復元されており、教科書などに載っている江戸時代の街並みそのものでした。また、建物の中に入ってみると、畳の部屋に椅子や机、ベッドや家具が置かれていて文化の違いを感じることができました。また、オランダから日本に伝わった、ビリヤード発祥の地ということも初めて知りました。

出島の歴史を学ぶ  出島の村人に道を案内してもらう

日本で最初のビリヤードの形  顕微鏡を覗き込む安田宏彰師

 お昼前に出島を後にした私たちは四海楼という中華料理のお店で、長崎名物のチャンポンと皿うどんをいただき、曹洞宗晧臺寺へ拝登させていただきました。

本場!長崎ちゃんぽん!  皿うどんおいしそうです

 海雲山晧臺寺は今から400年前、慶長13年(1608年)に亀翁良鶴大和尚により創建され、明治29年(1896年)に27世金峰玉仙大和尚により曹洞宗認可僧堂を開単し雲衲の接化に努められ、現在の晧臺寺専門僧堂の基礎を築かれました。

曹洞宗 皓臺寺  上香する四十澤承順会長

挙経する安田宏彰師  般若心経を唱える会員

曹洞宗皓臺寺にて

 到着後、仏祖諷経を修行させてきただき、修行僧による説明のもと山内拝観をしました。大仏殿に安置されている毘盧舎那仏坐像は高さ3,4メートルもあり、その大きさに圧巻されました。

拝観をする安斎真央師  僧堂の説明を聞く会員

毘盧舎那仏坐像  十六羅漢像

 次に長崎平和公園、原爆資料館を訪れました。資料館には爆風によって溶けたビンや被害を受けた方達が着ていた衣類、ほかにも様々な物が展示されていて、原爆の凄まじさを身をもって感じることができました。
 現代を生きる私たちは戦争を体験したことがありません。それによって戦争の恐ろしさや、悲しさを忘れかけているような気がします。平和公園や原爆資料館を訪れたことによって、その事に気付かされ、また次の世代にも必ず伝えていかなくてはいけない事だと気付かされました。

平和祈念像  原爆投下への道

原爆の歴史  現代の原爆

【9月4日(水)/吉村明倫師】

 2日目は、佐世保にあるハウステンボスに行って参りました。
 ハウステンボスとは、オランダの街並みを再現しつつ、自然の息づかいを肌で感じることのできるテーマパークで「訪れる人々に束の間の余暇と、本格的な充実したリゾートライフを提供すること」を目的として、1992年3月25日に開園しました。名称の由来は、オランダ語で「森の家」という意味で、オランダ女王のベアトリクスが住むハウステンボス宮殿を再現した事から名付けられました。
 この施設の設計は、長崎オランダ村の設計も手がけた池田武邦氏が行ったそうです。また、総開発面積は152ヘクタールにも及び、それは驚くことに、現在の東京ディズニーリゾート(ディズニーランド+ディズニーシー)とほぼ同規模で、単独テーマパークとしては群を抜いて国内最大になります。
 最奥部に建てられたパレスハウステンボスは、上記の王室宮殿を模したもので、王室の許しを得て忠実な再現が行われております。
 我々は園内で二班に分かれ、様々な施設を体験しました。中には有田焼販売の施設などもあり、長崎の文化に触れることもできました。個人的な感想になりますが、先輩後輩の間柄をひととき忘れ親睦を深められたことは、翌日の研修の英気を養い、また今後の青年会活動を進めていく上で、大きな糧になったと思います。

ハウステンボス正面入口  山と川と風車と…

風車は近くで見ると大きかった  なんの塔かな?

【9月5日(木)/吉岡義秀師】

 研修旅行3日目。はじめに福岡・太宰府の観世音寺を参拝しました。観世音寺は天智天皇が母斉天皇の冥福を祈るために創建されたもので、完成したのは天平18年(746年)です。しかし、平安時代に再三の火災や台風のために諸堂はことごとく消失し、その後の再建ではもとのような規模には戻らなかったそうです。現在も創建当時から残っているものは、京都妙心寺と共に日本最古といわれる国宝の梵鐘と、諸堂の礎石や、重要文化財の天蓋光心などがありました。
 境内を拝観し国宝の梵鐘などを見たあとに、観世音寺宝蔵に入りました。宝蔵の中には数々の歴史ある仏像や書物があり、その中でもひときわ印象深かったのが、高さが5メートルもある馬頭観世音菩薩立像でした。見たこともないような大きさに、迫力のある雰囲気には圧倒されました。宝蔵の中は残念ながら撮影はできませんので、太宰府へ行く機会のある方は、是非一度ご覧になっていただきたいと思いました。

観世音寺入口  石の庭園

国宝の梵鐘  国宝の梵鐘外観

宝蔵の入口  宝蔵の一覧

 次に観世音寺よりバスで15分、太宰府天満宮を訪れました。太宰府天満宮は、菅原道真公の御墓所の上にご社殿を造営し、その御神霊を永久にお祀りしている神社です。また、全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、学問・厄除けの神様として、年間に約700万人の参拝者が訪れているそうです。
 平日ということもあり、人はそれほど多くはありませんでしたが、日本人だけでなく海外の参拝者の方も見られました。私にとっては初めての参拝だったので、名前でしか知らなかった太宰府天満宮を自らの目で見て、体で感じることができ、とても充実した参拝になりました。また、帰る際に御神牛の頭を撫でたので、知恵を授けていただけたと思います。

太宰府天満宮入口  御本殿へ向かう橋

手水舎にて清める房田清光師  二拝二拍手一拝

参拝後の帰り道  御神牛の頭をなでると知恵を授かるようです

太宰府天満宮 御本殿前にて

 その後、柳川へ移動し、うなぎの大東にて柳川の景色をを眺めながら昼食をいただきました。

鰻のせいろ蒸し  食事の後に記念撮影

 今回私たちを舟で案内してくれた方が、船頭の原田さんです。長い木の棒で川の底を突きながら船を変幻自在に操る姿はまさに職人でした。川を巡っていく中で、原田さんから柳川の歴史的な変革や、この舟巡りを残していくためにどのようなことをしているのかなど、たくさんのことをお話していただきました。

 舟巡りをした場所は、「川」というよりも「お堀」のようでした。もともとは柳川城のお堀だったようで、川の幅は敵の矢が届かない距離の約28メートル。また、当時は城の中を舟で移動する用途もあったそうです。昭和の初期頃までは「くみず」といって、野菜を洗ったり、洗濯をしたりと、生活に密着した大事な川だったようで、川沿いの民家には川へ降りる為の階段が、今もなごりで残っていました。

史跡 柳川城堀水門  船頭の原田さん

船から見た木々と光  夜になると行燈がつくそうです

狭い橋もギリギリ通れます  船の上から交わす挨拶

 また、余談ではありますが、今回私たちがしたのは「川下り」ですが、力士の方は、番付を駆け上がるというゲンを担いで、「川上り」をするらしいです。

うなぎの慰霊碑  筑後国主 田中吉政公の像

第8代同志社総長 海老名彈正先生顕彰碑  すやすや寝てるアヒルかな?

 柳川の舟巡り後、一同は福岡空港へ移動。午後5時20分出発の飛行機に搭乗しましたが、飛行機のトラブルで出発が20分程遅れてしましました。しかしながら到着時間はさほど変わらず午後7時10分に羽田空港に到着、それぞれ帰途につきました。
 今回、私は初めて青年会の研修旅行に参加しました。訪れた場所は、長崎では出島、曹洞宗皓臺寺、平和公園、原爆資料館、ハウステンボス。福岡では、観世音寺、太宰府天満宮、柳川と、たくさんの名所を巡ることができました。
 とりわけ印象に残ったのが、長崎の皓臺寺でした。道場の中で生活をしている修行僧の方々を見ることができ、自分が修行していた頃を思い出し、初心に帰ることができたような気がしました。また、皓臺寺の墓地を見て、竿石や、墓誌などの文字が金色だったことにも衝撃を受けました。
 また、福岡では柳川の舟巡りが思い出に残っています。歴史的な街並みを見ながら行き交う舟の方々との挨拶や、ゆったりとした時間を過ごすことができ、旅行の最後としても、とても充実した時間に思えました。
 今回の研修旅行は、私の高校の修学旅行のルートと一部かぶりますが、やはりその時とはまた違った視点で、宗侶としていろいろと学べたように思います。また、研修とともに会員の皆様との親睦をよりいっそう深めることができたと感じています。ありがとうございました。

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