【3日目/2月4日(水)/担当:増田芳裕】

 9時30分にホテルを出発し、初日に時間の都合で行けなかった目的地である忠烈祠に9時50分に到着しました。

 忠烈祠は1969年建立の豪壮な中国宮殿様式の霊廟で、辛亥革命や戦争などで犠牲となった約33万の将兵が祀られています。入口の大門牌楼と大殿には、それぞれ2人の衛兵が直立不動で任務にあたっています。衛兵は、陸・海・空軍の中から選抜されたエリート兵士です。

忠烈祠 大門牌楼  入口の衛兵

大殿  大殿右翼

 戦場の様子を伝えるレリーフなどを見学しているうちに10時となり、衛兵交代式が始まりました。
 長身の衛兵5人が勇ましく行進し、銃剣を回すセレモニーで2人の衛兵が交代します。彼らの眼光は皆鋭く、一挙手一投足乱れのないもので緊張感が漂っていました。

衛兵交代式の様子  大殿の衛兵と交換している様子

交換後、また入口へと戻ります  銃剣セレモニー

 衛兵交代が終わり、忠烈祠を出発。次は九分(きゅうふん)へと向かいます。
 九分への移動中に、台湾の墓地事情などについて、リーさんからお話がありました。お墓はおうちみたいな形をしており、屋根に苗字が入るとのこと。沖縄の墓に似たようなもので、道路のすぐ横にあるそうです。新しく道路を建設するにあたっては、既存の墓地をよけるために道路をカーブさせたというお話を聞き、墓地に対しての想いが強いのだと感じました。高速道路を移動中に、バスの車内から墓地が見えました。

台湾の墓地

 11時35分に九分に到着しました。
 九分は台北から東へ約45キロメートルに位置し、かつては石炭や金鉱で栄えていた町です。坂道や階段が多く、レトロな雰囲気のお店が建ち並び、日本統治時代の面影が残されています。
 また、映画『千と千尋の神隠し』のモデルになったとも言われているそうです。当日は小雨がぱらぱらと降っていましたが、それと軒先に吊るしてある赤い提灯が幻想的な風景を作り出していました。
 ここで昼食をとり、平渓線乗り場である瑞芳駅へと向かいます。

階段がすごい!  九人分

雨の中の湯婆婆の館  湯婆婆的湯屋

 13時15分に瑞芳駅に到着しました。平渓線はかつての炭鉱列車が走った路線です。列車の本数は1時間に1本程度で、目的の列車までの時間で駅周辺も探索しました。
 乗車券を購入し、ホームで待つこと数分、メルヘンチック?な列車が入線してきました。皆が童心にかえったように列車の写真を撮り、車内へと乗り込みます。
 瑞芳駅を発車し、三貂嶺駅を過ぎると単線区間に入り、基隆河に沿って走ります。基隆河は岩肌を露出した渓流で、谷の流れは大変すばらしいものでした。

電車内の風景  隣のホームへの移動方法

 十分駅に到着し驚いたことは、人が歩くすぐ側を列車が通り抜けるという、日本ではなかなか見られない光景でした。ここでの名物は、願い事を書いたランタンを空に飛ばす、天燈(ランタン)上げです。願いを天燈に託すというものです。私たちも各々願い事を書いたランタンを上げ、祈りをこめるとともにその実現に向けて一層の精進を誓いました。

ランタンに願い事を書く藤井元超師  ランタンに切なる願いを描く増田芳裕師

4人1組で飛ばします  願いがかないますように

 天燈あげを終え、本日の最終目的地である十分瀑布へ向かいます。
 十分瀑布は、カーテン型としては台湾最大の滝で、『台湾のナイアガラ』とも称されるようです。周辺は十分山水遊樂園という自然公園として整備され、ちょっとしたハイキングコースになっており、滝までの約2キロメートルを森林浴など楽しみながら散策しました。滝を間近で見ると水しぶきが飛んでくるほど水量が多く、この日は雨が降っていたこともあり大変な迫力がありました。滝と自然を満喫し、程よい疲労感に包まれて十分瀑布を後にしました。

滝の上流のつり橋  滝までの道

滝


【4日目/2月5日(木)/担当:大塚昌浩】

 台湾最終日4日目。昨日と同様引き続き雨となりました
 その上、この日は台湾滞在中で最も風が冷たく感じた日でもでありました。それもそのはず、台湾2月の平均最高気温が14〜20度。台湾観光中の3日間はコートを羽織るのが蒸し暑く感じたぐらいでしたが、ガイドのリーさんにお聞きしたところ、この日は例えるなら日本の11月上旬並みの気温とのことで、上着を着なければならないほど冷え込んでいました。
 9時前には、3泊お世話になったホテルのチェックアウトを済ませ、バスで大忠門へ向かいます。10分ほどで到着。大忠門をくぐるとかなりの大広場に出ました。肌寒い雨の中大広場を歩き、中正記念堂に到着しました。
 中正記念堂の『中正』とは、蒋介石の本名のことを指します。中華民国の初代総統である蒋介石の生前時代の功績を称える為、彼の他界の5年後に竣工された、いわば蒋介石の記念堂であります。

大忠門  ガイドのリーさんの説明

中正記念堂  中正記念堂外観

 記念堂の中に入りエレベーターの最上階に着くと、セレモニーホールのような大広間の中央にそびえ立つ巨大な蒋介石の銅像がありました。その座像の上には、蒋介石が影響された孫文の基本政治理念である【倫理・民主・科学】という三民主義思想の言葉の本質が記されていました。ホールの両サイドには儀杖隊が警護に当たり、場の空気を更に厳かにしていました。
 ガイドのリーさんにお聞きしたところ、儀杖隊は陸海空軍の選抜隊が4ヶ月ごとに交代制で任に当たるそうで、昨日の忠烈門の衛兵交代の儀式と同様、この場所も定時刻ごとに交代の儀式を行います。モスグリーンの制服は陸軍、白の制服は海軍、青の制服は空軍とそれぞれ制服の色が決まっているようです。昨日の忠烈祠には空軍が任に就いておりましたが、この日の中正記念堂にも何故かモスグリーンの制服(陸軍の制服)。リーさんからお聞きすると、2月初頭が警護の総入替日、ちょうどこの日が軍の選抜メンバーの入れ替え初日だったようで、偶然にも大変貴重な体験ができました。

記念堂1階  蒋介石銅像と儀杖隊 

蒋介石銅像に驚く会員  ガイドのリーさんの説明

蒋介石の家族写真  帰りの飛行機

 しばらくしてからエレベーターで1階に降り文物展示室を見学しました。
 蒋介石が生前に着用していた衣服や、中正自身が書いた書簡、勲章や写真など彼の生きていた当時にまつわる貴重なものが展示されていました。中には彼の乗っていた新旧の大型のキャデラック計2台とかなり度肝を抜くようなものも展示されていました。展示室には彼が生きていた当時の中国や、日本での社会情勢や歴史背景が、幼少時から晩年まで時代ごとに追って知ることができるようになっているだけななく、その説明文にはそれぞれ、中国語、英語、ハングル語、日本語と翻訳されていました。残念だったのは、帰りの飛行機の搭乗時間の都合で、駆け足での展覧となってしまいました。しかし、リーさんの丁寧な説明のおかげで、短時間にも関わらず深い理解を得られました。


 特に印象に残ったものは、とある1枚の写真でした。中華民国の初代総統になった当時のもので、総統である蒋介石より前に、彼の妻である宋美齢が先頭をきって歩いている写真です。蒋介石が監禁されていた西安事件の時、妻自ら西安に乗り込んで彼の救出に努めた。結果、妻には頭が上がらないらしく、宋美齢が彼の替わりに手腕を務める事もあったようで、『歴史的人物の背景の裏に女性あり』を1つの写真に現している貴重な写真でした。

 11時過ぎに台北空港に到着。搭乗申し込みと荷物検査を済ませるのに1時間もかかりました。
 搭乗手続きをする前に、この台湾旅行の案内係りであるリーさんとお別れをすることになり、握手と感謝の意を述べながら、また今後ともお会いできることを願いました。
 飛行機が出発したのが13時過ぎ。3泊4日という長い滞在期間の研修旅行でありましたが、終わってみるとあっという間の時間に感じました。しかし、その分内容の濃い充実した研修であったように思います。今となって思い返せば、もう少し台湾の歴史的背景を勉強して頭に入れておかねばいけないと感じられたことも、自分にとっては大変大きな収穫であったと思います。



 今回の海外研修旅行にご参加いただきましたOB、会員の皆様方、ほんとうにお疲れ様でした。


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