国内研修旅行

 平成27年9月7日(月)〜9日(水)、会員8名参加のもと北海道にて2泊3日の国内研修旅行に行って来ました。

【9月7日(月)/大塚昌浩師】

 羽田空港7時55分発、函館行きの飛行機に乗ること一時間少しして、9時15分頃函館空港に到着しました。
荷物を受け取り、空港の外に出てすぐ目の前に数人乗りの小型バスとガイドさんがお出迎えをしてくれました
 
長く北海道でのガイド経験があり知識豊富なガイドさんに、古くからの函館の歴史を沢山教えていただきました。
函館は、民家・住宅街などの建物が大通りや小路を挟んで綺麗に区画整理されて建っているのが特徴とのことです。
江戸時代〜明治時代にかけて幾度となく大火に見舞われ、その度に大勢の人々の命が奪われることとなったのが理由で、これを教訓として建物の延焼・拡散を防ぐため町・村ごとに大きな道路・小路を隔てて境界線にしたそうです。
以後火事になっても大火にならず、明治以降の街並みが今日まで残ることとなったとの事です


 バスに乗ること10〜20分、曹洞宗高龍寺に到着しました。
高龍寺は江戸時代寛永期の1633年、曹洞宗法源寺の末寺として建立されたお寺です。
しかし、約100年後の宝永3(1706)年弁天町に移転して後、幾度も戦などの大火により焼失、明治12(1879)年に函館市船見町に移転して現在に至るそうです。

空港にて  高龍寺 山門

須弥壇  堂内

 明治以降の建物の特徴か、火災を防ぐためにレンガ製の塀や蔵や、ケヤキヒバの木で造られた広い本堂の灯りに、明治初期のガラス電灯が付いていたりと、寺院としては珍しい特色が所々に現れているのが印象的でした。

h27-0907-05.jpg  鐘楼堂

ガラス電灯  高龍寺住職

他にも僧堂、五百羅漢像が祀られている臥龍廟という永代祠堂、金比羅尊天様が祀られている祈祷所など、わずか30〜40分の時間ではありましたが、お寺様の中をじっくりと見学・参拝することが出来ました。

五百羅漢像内部@  五百羅漢像内部A

金毘羅尊天祈祷所  金毘羅尊天 提灯

 最後に総ケヤキ造りの立派な山門前で、集合写真を撮っていただき高龍寺様を後にしました。

高龍寺集合写真大

 高龍寺様を後にして、予定よりも30分早く、11時半ごろ昼食を摂っていたのですが、ガイドさんから次の目的地の函館朝市は日程表にある13時〜14時ごろにはほとんどの市の店が店じまいをしてしまうと話を聞きました。
私たちは昼食を早めに切り上げ、日程より20〜30分早めに朝市に着くようガイドさんにご配慮いただきました。
その甲斐あって、1時間ちかく函館市場の店を散策することが出来ました。

市場@  市場A

 その後30分バス移動して14時半ごろ、五稜郭タワー前に到着してタワー内を見学しました。
最上階の展望台より、五稜郭や函館の風景を堪能した後、五稜郭跡を散策。復元された箱館奉行所前まで来たところで、後の目的地の時間も差し迫っていたこともあり、16時ごろに五稜郭を出ました。

五稜郭タワーB  五稜郭タワーA

五稜郭タワーC  五稜郭跡

 途中立待岬で休憩を挟み、17時頃、1日目最後の目的地である函館山に着きました。
函館から望む夜景も北海道の見所の一つではあるのですが、日程表には『函館山「早めの夜景」』とあり、スケジュールの都合上18時までには宿泊するホテルに到着しなければなりませんでした。
また9月頭とはいえ、夕方の展望台には上着を羽織なければならないほどの身の堪える強い寒風が吹いていました。寒さに堪えながら時間ぎりぎりまで大勢の観光客と共に風景を楽しみ、後ろ髪を引かれながらも函館山を後にしました。


立待岬@  立待岬A

箱館の景色@  箱館の景色A

 車窓から函館山での夕「夜景」を見つつ、18時20分頃ようやくホテルに着きました。
研修旅行初日は結果的にかけ足日程とはなってしまったものの、どうにか無事に1日目を終えることが出来ました。





【9月8日(火)/増田芳裕師】

 2日目は9時にホテルを出発。
大都市札幌までおよそ280kmにもおよぶ旅のスタートです。最初の目的地は、大沼国定公園です。
函館市内を出てしばらくすると、北海道新幹線の高架が見えました。運転手さんいわく、北海道の地にようやく悲願の新幹線が開通とのことで大変感激しているとのことでした。


 9時50分に大沼国定公園に到着。
大小多数の島が浮かぶその様子は、新松島とも呼ばれるそうです。さっそくモーターボートに乗り込み、湖を水上散歩。駒ケ岳など湖の上からの風景を堪能しました。

大沼国定公園@  大沼国定公園A

大沼国定公園B  大沼国定公園C

 12時30分、西山噴火口に到着。
 平成12(2000)年3月に有珠山が噴火してから、15年ほど経過しています。
火山活動によって地殻変動が起こり、道路が寸断され、民家は埋没、また温泉街にも被害をもたらし、ホテルを廃業したところもあったそうです。ほんの数百メートルの差で集落が残ったところもあったようです。
私たちが見学したところは、かつては道路だった池です。道路から火山が噴火して大きな窪地ができて、そこに水が溜まり池が形成されたとのことです。
 付近には街灯や道路標識、人の気配のない住宅などの建物が残っており、今でも当時の様子を物語っています。

西山噴火口@  休憩地点@

休憩地点A  休憩地点B

 12時50分より昼食、休憩。

 13時50分、昭和新山に到着。
 昭和18(1943)年12月に前兆地震が始まり、翌44年になると畑、道路、線路などが隆起し、幾度も噴火。その後も火山活動による地形の変動は昭和20(1945)年まで続き、昭和新山は2年ほどかけて形成されました。
その昭和新山ですが、50年ほど前は赤い岩の塊でしかなかったようです。現在では頂上部分を除き青々とした木々が生えていて、穏やかな表情を見せています。

昭和新山  サイロ展望台

 14時45分、サイロ展望台に到着。
運転手さんによれば、ここはとにかく景色の素晴らしさに尽きるとのことです。洞爺湖や大島・観音島・弁天島・饅頭島の4島からなる中島、有珠山、昭和新山が一望でき、大変広々とした風景が目に飛び込んできました。絶景と澄んだ空気で、気分をリフレッシュしました。
 15時50分、中山峠に到着。
蝦夷富士とも称される羊蹄山を眺めながら、名物のあげいもをほおばり小休憩です。本日最後の休憩を終え、札幌市内へと向かいます。
 17時20分、札幌市内のホテルに到着。長い長い移動の旅がようやく終わりました。





【9月9日(水)/征矢貴晃師】

 3日目は曹洞宗中央寺へ行きました。
中央寺は札幌市の中心にあります。中央寺は明治7年に南二条西9丁目の場所に小松卍宗老師が小教院を作ったのが始まりで、永平寺の第61世久我環渓禅師を御開山として招いたお寺とのことです。
その後、中教院へ昇格し明治23年に現在地に移転して、永平寺の御直末寺院になりました。永平寺副貫首老師が住職をしているお寺でもあります。

山門@  山門A

本堂外観  ご挨拶

本堂@  本堂A

僧堂@  僧堂A


中央寺集合写真大

 次は北一硝子へ行きました。
北一硝子は明治34年に浅原硝子として創業しました。はじめは必需品だった石油ランプを製造していました。
昭和46年に現在の北一硝子へと社名を変更し昭和53年に花園本店を開店。当時は問屋町だった堺町通りに出店し、問屋町を観光地へと成長させました。
 店内には様々な硝子の工芸品がありました。世の中、壊れないプラスチック製品が多数を占める中、落とせば破損してしまいますがプラスチックとは違った硝子の美しさを見ました。

北一硝子@  北一硝子A

北一硝子B  北一硝子C

北一硝子D  北一硝子E

 青塚食堂でお昼を食べたあと、小樽運河に向かいました。
明治13年に小樽、手宮、札幌をつなぐ北海道の最初の電車である旧国鉄手宮線跡を通り、小樽運河に行きました。
飛行機の時間が迫っていたので車の中から眺めるだけだったのが残念でした。道に並ぶガス灯や当時のままの石造倉庫を再利用しレストランとして使用されているようです。

小樽運河@  小樽運河A

小樽運河B  小樽運河C

 そして、16時の飛行機に乗り羽田に17時40分に到着して皆様、帰途につきました。
暴風雨の影響で羽田に着陸できないかもしれなかったのですが無事到着できました。


 函館では高龍寺、函館朝市、五稜郭、函館山、札幌では中央寺、北一硝子、小樽運河と行きました。
夕方にみた夜景はあまりよく見えず残念でしたが、いろいろ見た中では中央寺が記憶に残っています。私が永平寺で修行をしてる時に中央寺から永平寺へ安居に来ていた人がいたり副貫首さんがいるお寺であると聞いていましたので一度行ってみたいと思っていました。
今回の研修を通して、北海道は昔は火災が多かったので道路を広くしお寺を一ヶ所に集めるなど一致団結して火災を起こさないように対策したこと、西洋建築を見てコンクリートの本堂を作ったことなど、同じお寺でも本州のお寺とはまた違ったところがあるのだと思いました。
この旅行で学んだことを生かしていきたいと思います。ありがとうございました。

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