平成27年度 第3回定例会

 平成27年10月30日(金)、興陽寺様においてOB2名、会員10名、寺族3名参加のもと、13時より第3回定例会を行いました。

 今回の定例会では、ファイナンシャルプランナー・行政書士・葬祭カウンセラーなどの顔を持つ勝桂子(すぐれ けいこ)先生による『10年後をクリアにする現代寺院の解法』というテーマで、ご講演を賜りました。
現代における寺院の使命とは何か?人びとは寺院に何を求めるのか?これらについて、日本経済の変遷や供養のしかたの変化、各階級にある人々と寺院の関係性などの視点から紐解いてくださいました。

勝先生@  勝先生A

受講者@  講演中@

 はじめに観光寺・新宗教に人が群がる理由についてお話いただきました。
かつての日本は世襲制が多く、格差社会において自分および一家の立ち位置・社会的役割が明確だったのに対し、現代は職業選択や居住地の選択、様々なコミュニティでの「顔」などの多様化が進んだ。
その結果、一つの大きな人格が見えにくくなったことで「自己肯定感」が薄れている。そのうえで観光寺・新宗教は、人々の不安を的確に捉えている、と指摘されました。
 また、ご近所づきあいはかつてのような「醤油の貸し借り」から「分かち合えない」時代になってきて、「生老病死の話」は“おいそれと口に出来ない時代”になった。このような孤立感=“根無し草”の精神となっている根本的な不安を的確に捉えれば、寺は「必要とされる」場所となる。その必須条件は、かつての昭和の時代との違いを認識し、生老病死の話を安心して出来る「分かち合いの場」としての寺を活用することである、とご説明されました。

勝先生B  勝先生C

 次に葬祭スタイルから市民の需要を知る、という視点でお話くださいました。
現代において「遺骨を愛でる人(ペンダントなど)」と「遺骨「処理」に悩む人(散骨など)」の二極化が進んでいるのは、葬送儀礼に力を感じられなくなっているのではないか。また、自然葬が増えているのは「大自然の力でも借りなければ成仏できた気がしない」という要素も大きいが、「自分の代で終わりにしよう」という理由で継承しなくていい墓を選ぶ人が増えているからである。仏教のアニミズム的要素にもこだわりがなくなり価値観が多様化したため、かつての日本における文化の前提は、崩壊しつつある。
 さらに日本人は世代間対話が欠如している。「自然は「共存すべきもの」である」と捉える人が圧倒的に多い日本という国において、本来、世代を超えて分かち合えるのは「あの世観」である。「あの世観」が欠如したまま回忌法要や葬送儀礼を行っても心に響かない。現代寺院は、焦る“終活”から死生観について考えるゆとりのある“隠居”という舞台を提供することにある、とご指摘されました。

受講者A  勝先生D

受講者B  講演中A

 次に、日本人は「囲い込まれる」のが苦手、という視点からお話しいただきました。
農耕時代から人々は自然とどこかの寺に所属してましたが、現代はクラウドで全世界とつながる、完全なる個人の時代である。所属のない社会だからこその不安感、自己肯定感のなさにおいて、「帰属意識を支えられる寺院になる」ことが求められている、とご指摘されました。
 宗教施設は、自然と人々がこぞってやってくるのが本来のあり方だったはずである。たとえば護摩供養など一定の御利益に絞った行事を行う寺社は、今も週末には行列が出来る。自然と足を運んでくれる新たな信徒関係を結ぶ必要がある、と説かれました。

講演中B  勝先生E


 最後に地域の連携を生かしたシステムについてお話しいただきました。
それぞれのお寺の得意分野を知り、宗教者が互いを紹介、人々は紹介を受けた寺に赴いて聞きたいことが聞ける、というシステムです。教区または仏教会単位で「お寺と個人をつなぐ仕組み」です。

さらに過疎地のお寺と都市部のお寺がつながれば、都会で苦悩する人々は原風景の癒やしなどが得られ、過疎地のお寺は都会の人々の苦悩する実情を得ることが出来るわけです。
これは檀家を取った、取られたという感覚ではなく、地域のお寺全体で「お寺は頼りになる!」と感じてもらえる仕組み作りをしてほしい、と推奨されました。


競争が激化し「個」の時代がさらに加速しつつある現代において、一か寺の問題ではなく地域全体の問題として連携し合うことでお寺の価値を再認識・提供してほしい。そして、世代や階級を超えて生老病死の話、死生観について語れる場を各寺院に作ってもらうことが、人々の「孤立感」を解消し「自己肯定感」を与えることにつながる。それが現代寺院の使命であり、人々にもお寺の帰属意識が芽生えていくのだ、というメッセージを感じました。
勝先生、ありがとうございました。



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