国内研修旅行
令和元年9月3日〜5日、会員9名、相談役1名が参加し、気仙沼、旧大川小学校などを巡る二泊三日の国内研修旅行に行ってきました。
【1日目】
『気仙沼震災ガイド』
まず私たちは気仙沼に向かい、ガイドの宝田和夫さんに同行していただきました。バスで気仙沼・大島を移動しながら、被災当時や復興の現状についての貴重な話を伺いました。
実際に回って見て思ったのが、平地がとにかく多いということが気になりました。
八年という歳月がたち、被災当時の瓦礫等は片付いていたのですが、その分ただただ広い草の生え散らかった空き地。そこが津波が来るまでは住宅街だったと考えると改めて津波の恐怖を感じさせられました。
また海辺一帯に作られた防波堤。その異様なほどの大きさは、まさに「壁」のようでした。
全長約40km、最大の高さは14,7mにも及ぶ防波堤は景観を損ねてしまうかもしれませんが、津波の対策を、命を第一に考えた結果の対策といえるでしょう。
『曹洞宗清涼院《震災時曹洞宗基地寺院》』
宝田さんのガイドの後、気仙沼市にある震災当時に避難所としても開放されていた清涼院様を参拝しました。本堂にて仏祖諷経を務めさせていただき,その後に御住職から震災当時の話をお伺いいたしました。
避難所生活のイメージと言えば準備されたスペースも狭く、プライバシーもほぼ無いような辛い生活をイメージしていましたが、ここの避難所生活は笑顔が確かにあったのだと話を聞いているうちに思えました。
それを成し遂げられたのは被災後の対応の結果ではなく、被災前から檀家さんと多くの交流をとる、
住職の人の集まる寺にしたいという信念のもと行われてきたイベントの結果だったのではないかと思う。
人が本当に困ったときに頼れるのは「人との繋がり、助け合い」なのだろう。それを作った御住職から、被災した時だけでなく日常的に僧侶としてどうあるべきなのか。
それを知ることができた今回は、とても貴重なお話を聞くことができました。
【2日目】
『南三陸合同庁舎』
二日目に入り、私たちは南三陸合同庁舎にて、慰霊法要を行いました。献花台は復興の関係上、度々場所を変えているとのことでしたが、
私たちのほかにも何組かの団体が訪れており、被災者たちへ哀悼の意を表しました。
庁舎は再建のため近づくことはできませんでしたが、遠目からでもわかるほど曲がった鉄骨は、津波の強さ恐ろしさを物語っていました。
『旧大川小学校』
異常なまでに開けた校庭跡地、外壁の崩れ去った校舎、積みあがった瓦礫とともに見える「大川小学校」と書かれたぼろぼろの校門。到着した瞬間、寒気すら感じるほどの衝撃を覚えました。
大川小学校に到着した私たちはすぐに慰霊法要を執り行いました。会員一人一人が献香し被災者の冥福を祈りました。
法要が終わって校内を見て回りました。校舎は崩れ去り、中の鉄骨がさらされ天井の壁すらはがれていました。
校庭の至る所にみられる亡くなった子供のために積み上げられた、賽の河原の石積み。子どものご冥福を切に祈りました。
『女川町語り部ガイド』
昼食を済ませた私たちは、ガイドの阿部真紀子さんと合流してバスにて移動しながら、女川の現状、復興の状況を聞きながら案内していただきました。
女川は被災地域の中でも唯一「防波堤を作らない」町として、あくまで「減災」を意識した復興をしていました。
3.11の際の津波を基本とし、津波が到達する場所には居住区は一切作らず、代わりに公園等の公共の場とし、高台などの安全な区域を居住区にしていました。
これにより防波堤を新たに建てることなく、外観を損なうことない復興を行っていました。
初日の気仙沼とはまた違う復興の仕方で、波を防ぐのではなく、受け入れる。貴重な話を伺うことができました。
また、最後には「地元市場ハマテラス」を訪れ、復興していく街を見ることができました。
【三日目】
『秋保大滝』
研修旅行3日目、東北地方で一番壮大な「秋保大滝」へと向かいました。秋保大滝へは徒歩で片道15分ほどをかけて少し険しい道を下りていきます。
まず初めに「秋保大滝不動尊」、正式には「滝本山西光寺」というお寺にたどり着きます。お寺の横の山道を進んで行きますと、滝見台より遠くからですが秋保大滝を見ることが出来ます。
その後、険しい階段等もありながら山道を下りていきました。汗を拭う際にふと顔をあげてみると木漏れ日が優しく照らしてくれていることに気付きます。
ふと耳意を澄ましてみますと鳥の鳴く声、蝉の鳴き声が滝の音に紛れて聞こえてきます。自然の中をこんなにも味わいながら歩くこと、これがなんとも心地よいものであると感じることが出来ました。
足の疲れを感じてきた頃になりますと秋保大滝を一望できる場所へとたどり着きました。水の勢い、秋保大滝の雄大さについつい見とれてしまいます。
水は澄んで美しく、出発した時よりも涼しいことに驚きました。歩き疲れて火照った身体にこの涼しさはなによりの嬉しさです。
その後、休憩を挟みながら元来た道を黙々と歩き続けバスへと戻りました。
『青葉城跡』
次に、青葉城跡を訪れました。青葉城といえば、「独眼竜」の異名でも有名な仙台藩初代藩主である伊達政宗公によって築かれました。
高台に立つ政宗騎馬像は写真撮影をする観光客で賑わっていました。
ここから見る景色は仙台を一望出来て、とても素晴らしい景色でした。
時代と共に新しくなっていく仙台の街並みに心踊りつつも、自然を大切にし、変わらずに残そうとしている風景には感動しました。
また、騎馬像のすぐ横には「東日本大震災」の慰霊碑があります。慰霊碑を後にしましてバスへと戻る途中の銘店館さんで「ずんだだんご」を美味しくいただきました。
その後、青葉城跡を出発して、仙台駅で各々お土産を買って午後7時頃に東京駅へ到着、それぞれ帰途につきました。
私は東日本大震災のことをニュースや情報でしか知りませんでした。
今回研修旅行を通じて、初めて見る震災の傷跡、震災を経験した方だからこそ語れる震災の恐怖、震災後に生じてしまう様々な問題を知ることが出来ました。
今回の研修旅行は僧侶として今後震災が起きてしまった時に、どのように携わっていくのか、また一人の人間としてどうすべきなのか、考えさせられました。
様々な方にお話を聞かせて頂き、とても貴重な経験をさせて頂きました。
大変充実した内容の研修旅行でした。ありがとうございました。
〜参加者のコメント〜
『研修旅行に参加して』
今回の研修旅行では、東日本大震災からの復興を進めている気仙沼・石巻方面を主に訪れました。具体的には、気仙沼港・大島、曹洞宗清涼院様、南三陸合同庁舎、旧大川小学校、女川町などです。
清涼院様では、今回の被災経験から地域社会においてお寺はどのようにあるべきかについてお話をいただきました。また南三陸合同庁舎、旧大川小学校では慰霊法要を行い、気仙沼港・大島、女川町では語り部のガイドさんより、震災発生時の様子や復興の進捗状況、まちの将来について詳しくお話をいただきました。その中でも特に印象に残っているのが、女川町の復興の取り組み状況でした。
女川町には14.8mもの大津波が襲い、甚大な被害が出ました。壊滅的ともいえる被害を受けた女川町ですが、町内を巡ってみると「新しい女川に生まれ変わる」という意気込みがそこかしこに感じられました。居住地の高台移転や低地の嵩上げといった防災対策に加え、コバルトブルーの海が広がる魅力的な景観を生かしたまちづくりが進められていました。そうした女川町の将来の構想についてもお話を聞いているうちに、私自身も気分が高揚してくるのを感じました。
今回の研修を通して、改めて震災の記憶を風化させてはならないのは勿論の事ですが、復興に携わる人々の生きる姿勢にもたくさんのことが学べたと思います。
龍泉寺 住職 増田義弘 合掌